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岩波書店『世界』(2003年 2月号):朝鮮問題に関する本誌の報道について
投稿者 あっしら 日時 2003 年 1 月 14 日 17:41:54:


http://www.iwanami.co.jp/sekai/

 2002年9月17日の日朝首脳会談で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日国防委員長の口から日本人拉致の事実が明らかにされ、8名の死亡が告げられて以来、日本のマスコミは拉致問題一色となった。それは、ようやく入り口にたどりついた日朝交渉そのものも中断させてしまうような、異様ともいうべき事態を作り出している。日朝間の交渉を入り口にまで導いた外交官が、あたかも北朝鮮の利益を図っているかのごとく罵倒され、これまで日朝の正常化のために力を砕いてきた政治家、政党、組織、言論などが、あたかも「北朝鮮の手先」であるかのごとく攻撃されている。
 長く朝鮮問題を取り上げてきた本誌も例外ではない。
 北の政府に同調的だった、賛美していた、あるいは韓国の人権問題にはあれだけ力を尽くしたのに、北の人権問題に無関心なのはおかしい云々。中には本誌が韓国の民主化運動を取り上げたのは、北を支援するものだったのではないかと邪推したり、本誌と岩波書店を<岩波書店、『世界』はいかにして金王朝の「忠実なる使徒」と化したか>などと鬼面人を驚かすタイトルで攻撃する研究者もいる。
 本誌は、これら論者の個々の指摘に対して、反論や弁解をする必要は認めない。これらの批判は、記事の時代的背景を無視して引用したり、乱暴な曲解を施した上でのきわめて意図的なキャンペーンであると考えるからだ。何より、70年代から注意深く本誌を読まれてきた読者は、本誌が一貫して保ち続けてきた姿勢について、十分に理解して下さっているであろうと考えるからだ。
 本誌がいま改めて自らの朝鮮報道の基本的姿勢について明らかにしようとするのは、第一に、現在の北朝鮮バッシングや日朝正常化を一歩も進めまいとする言説、あるいはそれに対する意識的、無意識的な同調の中に、従来から変わらぬ日本人の朝鮮認識の歪みがまたしても見出されると考えるからだ。
 第二に、読者の疑問に対しては、本来雑誌は新たな誌面、企画で応えるべきであると考えるが、本誌の朝鮮問題にかかわる基本姿勢を、この機会にきちんと知りたいという、新しい、若い読者もおられよう。そういう読者に対して、本誌の過去を振り返り、その基本姿勢を明らかにすることには意味があるし、また義務もあると考えるからだ。
 したがって、これから示すことの多くは、実は当たり前のことである。しかし、それが当たり前のことであればあるだけ、現在の日本の政治、外交、言論状況の異様さを逆に示すことができると信じる。編集部見解をここに掲載する所以である。


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 さて、本誌の韓国・朝鮮問題(日本との関係や在日の問題も含めた)にかかわる記事は、論文・インタビュー・ルポ・対談・座談会など膨大な数を数える。かつその時々の状況に対する発言がほとんどで、論者の立場や意見には相当の幅があるし、場合によっては反対の意見も載せている。また雑誌には新聞と違って社説はないので、本誌の編集にあたっての基本姿勢を抽出するには、各時期の編集責任者(編集長)の発言などによるほかはない。もちろん中には、あまりに情報が不足しているために、結果的に誤ったと言わざるをえない分析もある。しかし、重要なことは、本誌がどのような問題意識と基本姿勢を貫いて、この問題に取り組んできたかである。改めて振り返ってみて、そこには一貫したものがあることを確認できた。

 本誌が積極的に朝鮮問題に取り組み始めたのは1970年代に入ってからである。
 1973年から、韓国の民主化運動の声を伝える地下通信「韓国からの通信」(T・K生)が始まり、88年まで16年間にわたり連載された。1973年、韓国の野党のリーダーであった金大中氏が東京で拉致されソウルに連れ去られた事件(金大中氏拉致事件)が起きると、それ以降、事件をめぐる日本、韓国の各界の動き、発言などを克明に追った「ドキュメント・金大中氏拉致事件」(本誌編集部)が80年の金氏軟禁解除まで6年半、連載される。いずれも月刊誌としては異例の長さであろう。
 なぜ本誌は、隣国の問題にここまで深くかかわろうとしたのか。
 それは、朝鮮半島との関係こそが、日本人のかかえる最も重い、根深い課題だと考えたからである。T・K生の連載を最後まで担い、拉致事件当時日本でまったく無名だった金大中氏を事件直前にインタビューしたのが、当時の編集長であった安江良介である(1998年没)。彼は1977年、ある座談会の冒頭で以下のように述べている。
「私たちの雑誌は、かねてから、朝鮮問題を重視してきました。それは、朝鮮問題は日本人にとって今日、最大の課題ではないかと思わざるをえないからです。その理由の一つには、日本と朝鮮との関係が正常な関係にないということがあります。北との関係ではいうまでもないことですし、法的には1965年の日韓条約によって韓国との関係はいちおう正常化したという見方がなりたちうるかもしれませんが……韓国という国家や韓国民という国民との和解には結びつかず、政治的に朴政権を強化する目的だけが実現されるものとなりました」(77年9月号「朝鮮政策転換の方向」)
 歴史をごく簡単に振り返ってみよう。明治維新に始まった日本の近代は、内にあっては西欧型近代国民国家の体裁を整えて富国強兵を急ぎ、外にあっては欧州諸国のアジア進出と強引な開国要求に危機意識を膨張させ、やがてはそれが西欧化の遅れた清や朝鮮への軽蔑と指導者意識に転化し、戦争と侵略を拡大していく歴史であった。即ち、日本にとっての「成功」と「発展」は、隣国にとっては苦難と屈辱を意味したのである。日清・日露戦争は、朝鮮および中国東北部(満州)の支配と権益をめぐって戦われた。
 1910年、朝鮮を完全に支配下に組み入れ植民地とすると、日本は朝鮮人の激しい独立運動や抵抗を軍事力、警察力で抑え込み、土地を奪い米を奪い産業の発展を奪い、日本語を強制し、神社参拝を強制し、日本の姓氏を強制した。朝鮮は「奴隷状態」(カイロ宣言)にあると国際社会から見なされた。日韓併合条約について、合法的だったか否かについては議論があるが(本誌も論争の場を提供した)、しかし植民地支配が非難されるべき不当なものであり、36年間の日本統治下で朝鮮人の膨大な被害と犠牲が生じたことについては、今日、大方の日本人を含めて合意されている。小泉首相も、だからこそ、日朝平壌宣言において、日本の植民地支配によって「多大の損害と苦痛」を与えたと北朝鮮側に謝罪したのである。
 1945年の日本の敗戦によって、植民地・朝鮮は日本の支配から解放された。しかしそれは日本人の朝鮮認識を変える機会にはならなかった。それから長い間、日本と朝鮮半島の間には空白の時代が続く。日本は、フランスにおけるアルジェリア戦争やベトナム戦争、オランダにとってのインドネシア独立戦争などの脱植民地化闘争に直面することなく、植民地の問題、朝鮮の問題を意識から切り棄てた。日本は自らの責任で植民地の問題に決着をつけることができなかった。
1965年、米国の冷戦政策の中で、日本は韓国(分断された朝鮮半島の南半分)との間で国交を正常化したが、それは植民地支配を清算しての正常化、和解ではなく、冷戦の最前線で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国、朝鮮半島の北半分)と対峙する韓国の軍政を支援し、米国の冷戦政策を支える戦略的意図をもって行われた。ここでも、日本は朝鮮半島の人々と和解する機会を逸した。

 本誌が、積極的に韓国の問題に取り組み始めたのはこの時期にあたる。
 本誌は、1945年末、戦争に対する反省に基づいて創刊された。編集にあたっての最大課題は、まず世界の平和の実現であり、日本の民主化であり、続いて核の廃絶であり、アジアの人々との和解・連帯であった。であったにもかかわらず、1960年代まで、本誌には、中国との国交正常化やベトナム戦争に対する関心に比べて、隣国である朝鮮(韓国・北朝鮮)に対する関心があまりに低かった。しかしそのことは本誌のみにとどまる問題ではなく、日本社会全体――そこには日本社会のあり方を批判してきた知識人や、社会党・労働運動などの革新側も含む――にも、同様のことが言えた。それに対する深刻な反省から、1970年前後に、本誌は朝鮮問題に本格的に取り組み始めるのである。
 日本は隣国である朝鮮半島の人々との間で、とりわけ北半部の人々との間で、短く見積もっても1910年(日韓併合)以来、侵略を開始した時点をとるなら1875年(江華島事件)以来、正常な、対等な関係を結んだことがない。1970年時点で95年、2003年現在で実に128年間である。これは驚くべき異常なことではないだろうか?またこれを異常なことという意識がないならば、それこそが異常なことといえないだろうか?
 本誌が朝鮮との関係を日本の根深い問題と位置付け、これに取り組むのは、まずこの異常さを日本人が認識し、自らの責任で解決しようと努めること、そして私たちが踏みつけ奪おうとしてきた隣人と心の底から和解するためである。それが、日本近代史の最大の歪みを正し、日本人の中に道義と正義を回復することになる。北のためでも、南のためでもない。まず第一に、日本人自らのためである。

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 当時、冷戦構造にとらわれていたのは、日米両政府だけではない。それに対抗するいわゆる革新政党、運動の側も、逆に北朝鮮支持に固まっていた。お互いを「傀儡(かいらい)」と非難しあう南北を、日本の中で政府・与党と革新野党がそれぞれ支持し、敵対する相手の存在すら認めないという状態が続いた。本誌の立場はそれとは違う。
 「(日本の革新側の日韓条約反対闘争について)私はあまり高く評価できない面があった……どこまで朝鮮の問題に対して知識をもち主体的な力量を具えて、熱心にやったかという点でいえば、私は非常に疑問です」(1972年12月号「日朝交流への道」の安江の発言)
 1960年代後半から80年代にかけて、韓国では軍政に対する激しい民主化運動が展開された。それは、米ソ東西冷戦に連動し、厳しい南北対立を正統化の根拠とする軍事政権の独裁に抵抗し、言論、思想、良心の自由を勝ち取ろうとする運動であり、つまりは内部化された冷戦体制を自ら克服する戦いであった。それは冷戦体制を解体し、民族同士の和解と統一を目指すものであった。野党(そのリーダーの一人が金大中氏)、言論界、労働組合、学生、宗教者、知識人たちが、くり返し弾圧を受け、獄に囚われ拷問を受けながらも、抵抗を止めなかった。
本誌の「韓国からの通信」は、それまでの革新の運動からは見えなかった、そうした韓国の人びとの活動と声を、17年間にわたって伝えつづけた。韓国内の言論がまったく封殺され、政権に不都合な事実を伝えれば外国の特派員も追放されてしまう、そんな状況の中で、韓国の真実を外に伝えつづけたほとんど唯一の報道機関であった。
それは韓国の政権を貶め、北の政権を賞賛するものではない。「通信」をそのようにしか評価できないものは、逆に自らの冷戦意識、冷戦思考を明らかにしているのである。まさにそのような冷戦と対立の構造を克服するために、そして民族統一と民主主義という韓国国民の心からの願いと連帯するために、「通信」は開始され、88年、民主化の一応の達成(政党、言論の自由や大統領直接選挙の回復など)を見て、終了した。

 もちろん北もまた、同様に冷戦構造を内部化しているであろう。思想、表現、言論、結社の自由は厳しく制限され、一党支配、軍事優先が貫かれ、野党・異論の存在が許されない。なぜ、本誌は韓国の民主化に注目して、北の民主化、人権に注目しないのか?バランスを欠いているではないか?しばしば聞く疑問である。
しかし、バランスを欠いているのは、むしろ現実のほうである。即ち、国交正常化以降、韓国は日本から莫大な援助が流れ、それを基盤にして企業が続々と進出し、その利権に群がる政治家同士もしきりに交流していた。それは「日韓癒着」と言われ、「経済侵略」とまで言われていた。さらに、60年代の末には、日米両国は「韓国の安全が日本の安全にとって緊要」とするいわゆる「韓国条項」を含んだ日米共同声明を発表し、日本が米国の軍事力を補完する役割さえ担う可能性もあった。まさにこの「日韓癒着」の中で、朴大統領は独裁を強化し(維新体制)、民主主義と民族統一への願いを抑圧した。本誌の韓国報道は、日本政府批判、自己批判の側面をもっていた。一方、北朝鮮に対して、日本は国交がないのはもちろん、人々の交流すら厳しく制限していた。韓国の軍事政権を支援することによって、北朝鮮に対しては敵視政策をとっていたのである。国交がない、ということは関係の基盤がない、ということである。
 一方において、「癒着」といわれるほど関係がありすぎるのに、一方においてはまったく関係がない。このとき、日本の責任において朝鮮半島全体の人々と和解を求めようとする者は、どのように「バランス」をとればいいのだろうか?
 関係のない相手に対しては、関係をつけるよう(関係正常化)、政府に要求する以外にないであろう。そして国交が正常化される前には、できる限り、関係のない側の意見、主張を日本に紹介する以外にないであろう。対立している相手の言い分を聞き、理解する中で、はじめて対話が生まれ、正常化への努力も生まれる。人間的な関係がないことによって生まれるのは、相手に対する無知と偏見である。そして無知と偏見こそが、あらゆる誤った判断の温床となることは歴史が示している。民間の言論がなしうるのは、相手側の主張を国内に伝え、この無知を克服する努力以外にはありえない。
 安江良介は、編集長時代に4回(72年、76年、78年、85年)、編集長を辞めてから1回(91年)、北を訪問し、金日成主席(72年は首相)と単独インタビューを行っている。その立場は、明らかである。
 「私たち日本国民にとって、重大問題は、この北朝鮮と日本政府との間に今日にいたるも交流がないことである。日本政府は、40年も経ながらなお植民地支配の清算をせず、そのことを具体的課題として掲げていない。それのみか、韓国の軍事政権との一体化を進め、北朝鮮に対する敵対関係を強めているのが現状である。このことをわが国民世論が異としていないことも、また奇怪といわざるをえない」(85年8月号 金日成会見記録のまえがき)
 このときからさらに18年、世界的な冷戦が終結してからも、北が国連に加盟しても、また韓国の金大中政権が日本と北との交流を強く望んでも、なお交流が進んでいない。ますます奇怪なことといわざるをえない。とりわけ、両国関係の最大の障害であった世界レベルの冷戦が1989年に終結したあとも、なお10年余も正常化が進まないのはなぜなのか、日本は本当にこの問題に取組み、努力したといえるのか。
 世界には約190の国があるが、日本が国交をもっていないのは、北朝鮮と台湾だけである。台湾に対しては、しかし経済的・人的な交流がある。唯一関係のない国が、隣の、しかもかつて植民地にしていた国である。旧植民地との間でここまで関係がこじれている例は、他に聞かない。この長期にわたる無視・敵視は一体どのような意識の構造と利害に基づくものなのか。日本の言論には、アジアの平和、ひいては世界の平和構築のためにも、それを解明する義務と責任がある。

 たしかに、北の体制は多くの問題を抱えている。人権や民主主義においても、経済においても、大いに問題があろう。工作活動や破壊活動は許されないことだ。核兵器の開発には、どの国であれ、本誌は反対である。また政策決定過程は「ブラックボックス」の中であり、中で何が進行しているのか、何を考えているのか、わからないのも実際である(なお北の体制について本誌は93年10月号「北朝鮮の現在」で分析を試みる特集を、最近の飢餓については98年6月号「北朝鮮の飢餓に眼を!」で実情を伝える特集を組んだ)。
 しかし、北の体制に問題があるからといって、それらの理由は関係正常化をしない理由にはならない。
 また相手がたとえ「ブラックボックス」であるとしても、日本がやるべきこと、やってはならないことはあるだろう。
 「日本からみたとき北朝鮮には、さまざまな批判や疑問は当然ありえます。私もいくつかの疑問をもっています。しかしそれをいうためには、自身が南北朝鮮に対してどういう結び合いをしているのかということを忘れてはならない」(82年10月号「救国と和解を求めて」金淳一氏との対談での安江の発言)、「日本が敗戦によって目が覚めて新しい道を歩こうと決意して今日まできた。しかし、植民地支配を行った国に対して、その清算をしようということが45年間も放置されてきた。……北朝鮮に対する批判すべき、あるいは異議ありということと、北朝鮮に対して日本が何をしてないかということでみずからを責めるべき問題とが峻別されていない」(92年4月臨時増刊「日朝関係−その歴史と現在」における座談会での安江の発言) 本誌は、北に対する批判や疑問を提示するためにこそ、まず第一に、政府が「関係」をつくらなければならないと考える。正常な関係の基盤の上で、はじめて無知の克服の努力が始まり、相互の批判の基盤ができる。日本政府の敵視・無視政策に便乗して、言論が批判してみても、相手側には「敵意」としか見えないだろう。
 もちろん、北朝鮮との国交が回復すれば、ただちに和解が達成されるというわけではない。それは長い道筋の第一歩に過ぎない。そしてそれ以降の道程の中でこそ、言論は相互理解と和解のために、本来の役割を果たすことができると考える。

     3
 日韓条約は、米国の冷戦政策にのっとった欠陥のある条約であった。しかし、とにもかくにも国交を正常化することによって、人々が行き交い、交流を深めることもまた出来たのである。韓国は日本からの資金、技術の導入によって経済成長の基盤を形成したといわれるが、もちろんそこには韓国国民の努力と「日韓癒着」体制を突き崩していった民主化運動も大きく寄与している。日本政府は植民地支配の清算をせず、そのためいまもなお、強制連行や軍人・軍属、「慰安婦」など植民地時代の補償を求める多くの訴訟も起きているのだが、それでも国交正常化と多様な交流によって、お互いを理解する機会をもつことができた。いま、年間300万人が往復するという。かつて日本に存在した、韓国に対する無知と偏見は大きく減じている。国交正常化後38年、軍政が終わって15年、ようやく両国に正常な関係が持たれ始めたといってよいのかもしれない。
 韓国も変わり、世界も変わった。しかし、日本は変わったのだろうか?最大の課題たる朝鮮問題について、人びとは認識し、真剣に向き合おうとしているのだろうか。自らの主体的責任で、克服しようとしているだろうか。
 植民地時代から、日本人の「朝鮮人イメージ」は、「恐怖、警戒、厄介、複雑、理解不能」であったという(1995年8月臨時増刊「敗戦50年と解放50年」)。それはいま、日本の一部の言論が北朝鮮に向けている眼差しそのものではないのか。
 日朝首脳会談以後、両国は正常化のための大きなチャンスを迎えている。一方、ブッシュ米政権の強硬策と北の核開発再開問題によって、朝鮮半島は戦争の危機をも孕んでいる。日本がどの方向を選択するかが、東アジアの未来を決定する大きな要因になる。日本の責任は大きい。そして、もし万が一にでも日本が戦争に加担する選択をするならば、韓国を含めた、朝鮮民族との和解ははるかに遠ざかることになる。私たちはさらに100年、隣国との間で不正常な関係を続けようとするのだろうか。


 日本と朝鮮の和解のためには、朝鮮半島の人々がもっとも望み、またもっとも苦しんでいる問題の解決に、日本が尽力することではないか。
 それは南北の和解と統一という問題である。
 本誌には、幸いなことに、北からも南からも一定の信頼があった。その信頼関係に基づいて、安江は幾度か、南北の交流を助けたことがある。韓国民主化運動のメンバーが、日本を通じて北に渡った。冷戦思考から抜けきれず、分断と対立をよしとする人びとにとっては、この行為は利敵行為と見えるだろう。北に渡った韓国人は反共法、国家保安法違反である。しかし、統一と和解を求める人びとにとっては、その行為は南北を近づけ、分断線に風穴を空けた歓迎すべき行為となる。本誌は、こうした助力を日本人として出来たことを、誇りに思う。その行為は、まさに2000年6月の、韓国大統領のピョンヤン訪問によって、正しさが証明されたと考える。
 民間の一雑誌が、一体民族間の和解や南北分断の克服といった大きな課題に、どれほどの寄与ができるのか、といわれるかもしれない。しかし、本誌はそれを担おうとしてきたし、またこれからも担おうと覚悟している。
 戦争、対立、分断ではなく、平和、和解、連帯を。本誌の一貫した姿勢はこれに尽きる。

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