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(回答先: 説明のまずさを補足します 投稿者 あっしら 日時 2003 年 1 月 13 日 00:50:37)
あっしらさん、こんにちは。
補足説明、拝見しました。
あっしらさんは、シニカルな現実主義を、すばらしい感覚と評価されてるんですね。
これは、あっしらさんご自身のスタンスの反映、と理解していいんだろうと思います。
「シニカルな現実主義」の意味を考えますと、「シニカルな」、というところは、現実に対する、侮蔑や嫌悪と、同時に諦念・諦観をあらわしていると思います。
また、「現実主義」は、そんな気持ちだけど、たくましく生きてやるさ、といった意志を示していると思います。
背景に、善良さや謙虚さあってのシニカルだと思いますし、へこたれてるだけではない意思の強さもあるので、高く評価したい気持ちも、わからないではないです。
しかし、侮蔑や嫌悪を感じるような現実に対して、非力は非力なりの、せめてできる範囲での働きかけをしよう、また、少しずつでも非力を解消していく努力ぐらいは続けよう、といった建設性よりも、斜に構えて、そんな現実に適応だけしとこう、といった、ま、意味を明確にするのにあえて厳しい表現をすれば、負け犬根性、を示しているとも思いますので、すばらしい感覚、とまで高く評価してしまうのは、現実逃避ということになるんでしょうね。
あっしらさんご自身について言えば、この掲示板への書き込みを見ても、あっしらさんなりの働きかけと努力をされていると思いますので、必ずしもその限りではないのでしょうが。
あと、
>これは、理性や感性とりわけ理性と人間性に基づく判断と言っても、相対的で関係的なものでしかなく、絶対性や普遍性ではないということを意味します。
>物事の妥当性や正当性は、一人一人が自身の価値観(好き嫌い)で判断するしかなく、そこから離れた理性もなければ正当性もありません。
(神を認めれば理性的判断は神の判断ということになるのでしょうが、預言者ではない人が神の判断を知ることはできなので、一人一人の判断に依存します)
あたりのご意見についてですが、まず、人間性というのは、理性と感情(感性よりも、こちらのほうが適切ですね)と本能(欲求と同義です)の3つに基づくものですよ、ということを指摘させていただきます。
で、それぞれに、求めてやまないことと、耐えられないことが、あるようです。
さらに、どうもこれは、有史以来どころか、神話の時代から変わっていないらしい、ということも言えると思います。
好き嫌いというのは、まあ、価値観の一つなんでしょうが、どうやら偏狭な自己愛ってことが多いみたいですよ。
せめてもうちょっと質の高い価値観を持たないことには、自分が馬鹿に思え、嫌な気分になり、どんどん損したり危なかったり、といった事態を、いつまでたっても回避できないでしょうね。
神については、定義次第でいろいろいえるでしょう。
とりあえず、こんなところで。