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引用元:http://www.foreignaffairsj.co.jp/intro/0301ajami.htm
イラクとアラブ世界の将来
Iraq and the Arabs' Future
フォアド・アジャミー/ジョンズ・ホプキンス大学教授
アラブの指導者たちは、心のなかでは「砂漠の嵐」を超える「完全な嵐」の到来を待ち望んでいる。短期間で決着がつき、サダム・フセイン追放の機会がつくり出されるような戦争を望んでいる。だが、これを「正義の戦争」と納得するアラブの民衆はほとんどいないだろうし、戦後には厄介な現実が待ち受けていることをアメリカは心しておくべきだ。
アラブ世界は、アメリカの罪をあげつらうことも、改革派を「外国勢力の手先」と切り捨てることもできる。それだけに、戦争をいかに戦うか、大いなる慎重さをもって臨まなければならない。
<目次>
・アラブ世界の近代化を 公開中
・「アメリカ人がやってくる」 公開中
・イラクとの戦争とアラブ世界
・気まぐれなアラブの群衆
・ヨルダンの立場
・湾岸戦争の意味
・ビンラディンというアメリカとサウジの悪夢
・戦後イラクの可能性と限界
・シーア派イラクの誕生?
・新生イラクは汎アラブ主義と決別する
・少数派による多数派弾圧の歴史
・恐怖政治の台頭
・戦後日本という先例?
・イラク、そして中東民主化の行方
・アメリカの課題
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アラブ世界の近代化を
イラクのサダム・フセインとの戦争に踏み切るのであれば、そこでアメリカが見いだすアラブ世界の現実がどのようなものであるか、心しておいたほうがよい。アラブ世界にわれわれが勝ち取れるような「人心」はない。いかに広報外交を展開しても、アラブ人が、アメリカの対イラク戦争を「正義の戦争」と納得することはあり得ない。
国連の査察がうまくいかず、その結果、米軍が直接中東の地へ足を踏み込めば、アラブ世界の大多数は、「アメリカはイスラエルのため、あるいは、イラク石油の管理権を確立するという帝国主義的な野望から、自分たちの世界に足を踏み入れてきた」と考える。外の世界からやってきた超大国の言い分に耳を傾ける者はいない。
アメリカはこうした不信感渦巻く環境のなかでの活動を強いられる。ただし、アラブ世界の街頭で繰り広げられるであろう反米主義の多くは割り引いて考えてもよい。(漠然とした被害者意識から)デモに繰り出すというスタイルはこの地域に広く認められる「文化」だし、そもそも「彼らが負った傷をどう癒やすかの責任」は彼ら自身が負うべきだからだ。この地域の政治的忠誠やスタイルを過度に尊重する必要もない。古色蒼然たる制度的タブーや欠陥を踏襲するよりも、外からやってきた大国が示す、単純明快な改革ガイドラインのほうがよほど優れている。
サダム・フセインを政権から追い落とし、壊滅的な破壊力を持つ兵器を解体することの他にも、イラク及び近隣のアラブ諸国でのアメリカの試みは「アラブ世界を近代化すること」を目的としなければならない。これまでのアラブ世界は怠慢に身を委ね、外の世界に対して病的なまでの恐怖心を抱いてきた。こうしたアラブの有り様は、アラブ人にとっても、そうしたアラブ世界に巻き込まれてきたアメリカにとっても大きな痛手となった。しかも、アラブの支配者とイスラム過激派の闘いが、いまやアメリカの利害関係に入り込んできている。これは厄介で不当な事態だが、それでも正面から受け止めるべき現実である。
「アメリカ人がやってくる」
アラブ世界の政治的・経済的枠組みが崩壊し始めたのは、一九七〇年代〜八〇年代にかけてのことだった。人口の爆発的な増大が、独立を勝ち取って以降にアラブ世界が築き上げたシステムを押しつぶし始めると、怒りに満ちたイスラム過激主義が突風のように吹き荒れ始めた。すさんだ環境のなか、イスラム主義は人々に慰めを与え、若者を魅了し、反発と拒絶のための言葉と手段を与えた。
アラブの失敗は、しばらくは彼らの世界だけの問題だった。しかし、人々の移動やトランスナショナルなテロがすべてを変えた。アラブ世界で上がった火の手は、他の世界へと広がりをみせ始めた。「自分たちの世界では正義は実現されない。自国の支配者たちからは正義を引き出せない」。そう確信した怒りの矛先はアメリカへと向けられ、それが9・11へとつながっていく。驚くべきことに、今度はそれが、対イラク封じ込めから「イラクの政権交代と巻き返し」作戦へのアメリカの政策変更を呼び込んでしまった。
アメリカのアラブ改革の熱意は信条と手段を備えたものでなければならない。「単独行動主義」を深く詫びる必要もない。むしろアラブ世界はそうした「命令」を受け入れるだろうし、アラブの指導者たちにとっても、むしろそれは好都合だろう。「アメリカのパワーがあまりに強大であるために、アラブ世界も追随せざるを得ない」。彼らは国内的にこう言い訳ができる。シリアが土壇場で決議に同意したことによって、イラクの武装解除を求める国連安保理決議が全会一致で採択されたことも、そうした言い訳になる。「自分たちではどうしようもない大きな流れに従っているだけだし、基本的にはサダム自身が戦争を呼び込んでしまった」と。
むろん、アラブ世界において宗教色の薄い、近代的な秩序を構築する闘いは、アラブ人自身の闘いでなければならない。しかし、大国のパワーはものを言うし、超大国の意思と名声は、アラブの近代化と変化に向けた追い風をつくり出せる。
「アメリカ人がやってくる」。タリバーン相手にアメリカがアフガニスタンで迅速な勝利を収めると、中東のイスラム主義者たちはこう叫び、対テロの観点から新たに検証の対象とされるようになったイスラムの「慈善行為」、扇動活動、資金調達ネットワーク、過激派のリクルートなどのすべてをカムフラージュしようと奔走した。
だが最近では、イスラム主義が再び息を吹き返している。それには訳がある。「9・11以降、(アフガニスタンその他での)乱暴な行動へと駆り立てた正義観をすでにアメリカ人は失っているのかもしれない。中東へ圧力を行使する強い意志も失いつつあるのかもしれない」。こうした期待にも似た憶測が中東で飛び交うようになったからだ。
イスラム主義者たちはひどく政治的な人種である。敵の決意がどれほどのものか相手の意図を巧みに読もうと、入念な分析を試みる。ジョージ・ブッシュによる二〇〇二年一月の「悪の枢軸」演説がイスラム主義者をパニックに陥れたのもこのためだ。だがその数カ月後には、彼らは安堵していた。イスラム主義者たちは、ワシントンの官僚内に路線をめぐる対立が存在すること、その数カ月後に激化したイスラエルとパレスチナの紛争にワシントンが気を取られていることに意を強くしたのだ。
*全文はフォーリン・アフェアーズ日本語版でご覧になれます
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