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(回答先: 居候掲示御容赦 投稿者 ユートピアコレクション 日時 2002 年 12 月 27 日 16:11:56)
『アダムスミスの針』
これは『やさしい経済学 巨匠に学ぶ(アダム・スミス)』の著者、猪木武徳氏の文と思われるが、
市場についてこう述べています。
>市場の拡大は商業を活発にし、人々を誠実かつ几帳面にする。商人は評判が悪くなるのを恐れ、
>約束を誠実に守ることが長い目でみると大切だと熟知しているからだ。このことは商業社会と未
>開社会を比べると明らかだが、文明の進んだ社会のなかの政治家や外交使節たちと商人とを比較し
>ても容易に理解できる。
こうしてスミスは商業を賞賛したのだが、もうひとつ、着目したのが分業でこの分業こそが国の富
を増加させる最大の要因と見ていた(国富論)有名なのは針職人のたとえで、たとえば、一人の職
工が針を作るとせいぜい一日に一本しかできない。これを単純な作業、針金を切る人、焼きを入れ
る人、先を研磨する人、糸穴をあける人といった具合に、単純な工程に分解すると、一人あたり数
千本の針ができるばかりでなく、未熟練の労働者であっても仕事をこなすことができる。こうして
生産性は飛躍的に増大し、国富(GDP)は増大することになる。こうした分業を円滑に進める要素
としても商業と市場に注目していた。他方、こうした分業と市場を疎外として極端に批判的だった
のがマルクス。ただ、そのマルクスにしても分業(機械化も含めて)が飛躍的に生産性を向上させ
ることに自体は否定していない。
分業生産は当然、集団化を伴うわけですが、その顕著な成功例として知られるのがフォードシステ
ム、顕著な失敗例が多分、大躍進時代の人民公社。毛沢東は「人民公社好」と農業の集団化を推し
進めたわけですが、この政策の失敗で数千万人の餓死者を出すことになったというから恐ろしい。
結果平等が生産性を落としたといった俗説がありますが、これはデマ。集団化を推し進めた最初の
一年の生産高は通年とほとんど変わらなかったらしい。ところがこれを地区幹部は上層部に「改革
は大成功」と収穫高を水増しして報告した。これを聞いた毛沢東は「食料増産は大成功、腹一杯食
え」と全国に指令を発したといいます。都市部でも食料不足の時代だったから、そんなに増産した
のならと、食料を供出させた。この段階では誰であれ、少なくとも悪意はないわけです。
これが自営農民の時代であれば、農産物の管理が各農家が自立的におこなっていた。貧しいなりに
でも、次の収穫期まで食い繋げるように、加工や保存の計画を立てた。一部は売って農機具に変え
た。自己責任などといわれなくともそうする以外生存の方法がなかった。ところが集団化によって
管理者不在、見事な無責任体制ができあがってしまったというわけです。
無計画に食料を食い潰せば次の収穫期までは持たない。飢えた農民は(これは自営農民なら絶対に
しないでしょうが)次の年に蒔く種まで食い潰してしまった。となれば次の年の収穫はゼロ?
取りあえずは笑ってしまうしかないんですが、なんせ数千万人の餓死ですからねぇ・・(^^;
(参考:ワイルドスワン)
実は初期のヤマギシ会でもこれと似たようなことが起きたといいます。そもそも実顕地構想そもの
もがこうした分業、集団化信仰に基づいたものと思われますが、春日、百万羽の一つサイフに集め
たカネは”誰のものではない”つまり管理者不在。連日、酒宴などを催しているうちにすかっり無
くなってしまったらしい。この経済危機を打開すべく山岸巳代蔵が打ち出したのが”急進Z革命”
これが山岸会事件へと繋がっていくわけです。
(参考:イニシエーションとしての宗教学)
将来、破滅が見えているならそりゃアナタ、一か八かの真珠湾。トンデモな事件の背景には大抵の
場合、経済的破綻がありそうです。その結果は普通に、最悪。だいたい「我が社の社運を賭けて・
・」なんてプロジェクトにかかわって、マトモな思いしたことないもんな。「社運なんか賭けるな
よ、ったく・・」
アダム・スミスに戻りますが、スミスは「株式会社はその無責任性ゆえに崩壊する」と予言してい
るのだそうですが、これはどうなりますか?