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(回答先: 居候掲示御容赦 投稿者 ユートピアコレクション 日時 2002 年 12 月 27 日 16:11:56)
『マルクスの恋愛詩集』
ヤマギシに本を置いてきてしまい、残念にも手に入らなかったものがいくつかある。『有閑階級の理
論』もその一つで、学生時代に読んだ記憶があり妙に心に残っているが、実は著者の名前すら覚えて
いなかった。ところが近年(4年くらい前かな)紀伊国屋に平積みになっているのを偶然に発見した。
あの積み方からすればそこそこ売れていたのではないだろうか。そんなわけでもっているのは、ち
くま書房、1300円也の奴。ところで「マルクスの恋愛詩集」(笑)これだけはどこの出版社に聞いて
もわからなかった。第一そんなものがホントにあったのかどうかも自信がなくなってきた。
今だ心にひっかっているのはこんな詩だ。
『数学者における恋愛論的世界観』
恋する男がaで 恋する女がbとすれば
世界はa+b=c
cでは訴訟の費用は大幅に節約される。(笑)
勿論記憶ですから正確かどうかわかりませんが、なんだコリャ?? なんせマルクスっていい歳をして
奥さんと交換日記かなんかやってた人でしょう。そのくせ他の女に手を出して手切れ金は盟友のエンゲ
ルスに出して貰ったらしい。やはり持つべきものは友ですか、ただし金持ちの・・
勿論、マルクスがこんなことばかりやっていて歴史に名をのこしたわけではない。その最大の業績はあ
の「資本論」だ。ところで読者の方で「資本論」を読んだことのある方はいるだろうか?見たことのあ
る方は? 多分、いない(当方も含めて、笑)。
「資本論」がユートピア的な未来を描いたとする俗説は誤解(読んでない証拠)「資本論」はまさしく
「資本論」。人間の作ったものでありながら、個々の人間の思惑を超えた資本の性質、云われといった
ものについての厳密な論証、例証が「資本論」だ。なんせ論理の山また山、岩波新書で9冊もある。
当方は10ページほどで挫折、もっとも「共同幻想論」は1ページで挫折したから、よく頑張った方。
世界的に有名な書物で、実は読んだ人は数えるほどしかいない、といった書物の一つに「資本論」はあ
げられるものらしい。
ただ、「資本論」の場合救われることは、解説書が山ほど出ていること。共産主義では労働者の啓蒙は
重大事業だから、仕事の合間に「資本論」を読めったってそりゃ無理。有名なのはエンゲルス「空想か
ら科学へ」、当方のお勧めは青木雄二(笑)「ナニワ金融道、肉欲棒太郎がどうしてマルクスなんだよう」
といぶかる方へ。「ワイはええ暮ししとるんや。貧乏なアンタの為にいうてやっとるんやで」といのが
青木氏の答え。多分、青木氏は「資本論」を読んでないだろうというのが、もっぱらの噂。
マルクス経済学の骨子にあるのは「唯物史観」。マルクスは”心”を考えなかったというのは俗説。マル
クスは元々キリスト教右派、唯心論ヘーゲルの門下生。その後、左派に転じ、ヘーゲルの弁証法を逆さ
まにした唯物論を創始した。これは、国家の絶対性を証明しようとしたといわれているが、ヘーゲルは
歴史を絶対精神の発展過程としてその最終形態に国家をおいた。マルクスはこれを生産力の発展こそが
歴史発展の原動力としたわけだ。「唯物史観」では、歴史を異なる階級間の闘争と考えた。分業が階級
分化をもたらすことは容易に理解できるが、これが軋轢を生むのは生産力が増大し、従来の枠組みでは
御しきれなくなるためだ。こうした生産的諸関係(下部構造)が制度や文化、法律といった上部構造が
規定することになるのだとマルクスは言う。
では、なぜこれが社会主義に通じるのか。そのシナリオはこんな具合だ。まず資本主義的生産形態(資
本家が賃金労働者を雇用して生産する)は大量の商品を生産する。会社も大きくなり、雇用も増える。
ところが、これがある点に到達すると収益低減の法則により儲からなくなる。資本主義という言い方そ
はマルクス経済学のもので、それまでの社会では何かの手段だった資本が、この時期になるとその増殖
そのものが自己目的化する。資本家は資本利益率を最大にするように行動するから、リストラ、機械化
、賃下げといった労働者イジメをするわけだ(どっかの国みたいだな)。その結果「労働者の賃金は労
働力再生産に必要な最低限」の水準にまで下がることになる。当然、有効需要がなくなるわけで資本主
義は恐慌に突入するか、海外に販路を求めて帝国主義化するしか生き残る道はなくなる。
資本主義、商業生産のもとでは、いかに最高効率の最新鋭の生産設備であっても売れないものは作り
ようがない。これはたしかに資本主義の限界だろう。ところが歴史は生産力の発展だから、生産力は自
らを開放しようとする。この担い手が労働者階級とだという。ここに剰余価値説があって、資本は労働
からピンハネしたものだから資本の正当な所有者は労働者ということになり、プロレタリア独裁では、
権力によって生産手段の奪取、公有化が正当化される。社会主義体制が誕生することになる。
こうして資本主義のくびきを離れて自らを解放した生産力は、大量の物資を供給することになる。たと
えば現在の日本だって、需要を無視して生産し、採算を度外視して販売すれば、一時的には相当の物資
が出回ることになるだろうが、こうした社会では物資は空気のようなもので、誰も空気を得るために働
く必要がなくなる。生産関係が変わることによって文化や制度といった上部構造が変わるというわけだ
こうしてマルクス主義革命はソビエトで成就することになったが、物資が空気のように供給されるとい
うわけにはいかなかった。とすれば、無限に物資がない以上、当然のことながら分配の問題が生じるこ
とになる。社会主義下の分配ついて何らかの理論やシナリオがあったかといえば、な〜んにもない。
少なくとも当方は聞いたことがない。元々、分配の必要がないほど物資が供給される、というのが社会
主義の前提だもの、そんなものあるはずがない。で、革命直後のソビエトではどうやって分配を決定し
たか?。答えはソビエトで(会議)決めたらしい(研鑚で?笑)。
北朝鮮を訪れた国連のある報道官はこう漏らしたのだそうだ。「この国には経済計画など存在しない」
資本主義の強みは実はここにあるのだと当方は思う。マルクスを始めとして資本主義の研究者なら、
ノーベル賞クラスがゴロゴロいる。賃金や利息、株式投資といった分野の書籍だけで図書館がいくつも
できるのではないか。実践者といえば、企業であれ公共団体であれ予算を立て決算を行う。家庭は妻が
管理しているが、子供だって小遣いの使い道に計画を立てる。つまり、それぞれの人々がそれぞれのポ
ジションでそれぞれの理念に基づいて経済計画を立てる。こういった体制こそ”真の計画経済”と呼ば
れるべきではないのだろうか。これが、権力者の気まぐれで何事も決まるような体制であれば、誰も計
画なぞ立てようもない。
共産体制下でまがりなりにも中央集権的統制経済が機能していたのはソビエトと東ドイツくらいなもの
だという。あとは、行き当たりばったりのドンブリ勘定。資本主義体制下で頭のいいノーベル賞クラス
の学者がこれほど考えても経済の実態は思うようにはならない。それをですよ、アナタ。な〜んにも考
えないでの御都合主義、そりゃ破綻して当然の当たり前だちゅぅの。