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(回答先: 現代文明を支える社会システム 東京国際大学教授 関岡正弘 投稿者 TORA 日時 2002 年 12 月 25 日 17:10:50)
500年前、ヨ−ロッパだけがなぜテイクオフしたか
システム的考察ム
2002年後期国際開発論 関岡教授 2002.12.18
ヨ−ロッパは、アラブの国際商業ネット・ワ−クが存在していた中世前半、そのカヤの外に置かれていた。ヨ−ロッパ人は、中世を暗黒時代と呼ぶ。そのヨ−ロッパが1500年以降、世界で唯一テイクオフした。その謎を社会システムの観点から探る。
テイクオフは経済発展を意味する。経済は人間の経済行為の集合。経済行為は(等価)交換である。経済発展とは、特定の人間社会における交換の数が増大することを意味する。現代経済についての現実観察から言えることだが、交換は事実上すべてマネ−を出発点として行われる。なるが故に、マネ−とはなにかが問われなければならない。
本開発論では、マネ−を、価値が仮託された社会的存在物と定義する。存在物であるが故に、交換の対象物になりうるのだ。次に、価値とはなにかを定義しなければならない。とはいえ、あまりにも哲学的に考えるのは控えた方が良い。
かつて19世紀から20世紀にかけて、axiology(価値論)という学問があった。いろいろな人が価値とはなにかを論じたが、100人が議論に参加すると100通りの意見が出た。しかしaxiologyの議論は無駄ではなかった。価値は主観的なものということを証明したからである。本開発論では、価値を、常識的に誰もが欲しがるものと定義しよう。
価値は人間の欲望に基盤を持つのだ。人間の存在ははかない。どんな偉大な帝王の欲望といえども、その持ち主が死ねば消えうせる。そんなはかないものが社会的存在物になるためには、何かに仮託されなければならない。仮託される対象となるものの条件は、時の流れとともに劣化しないという点にあった。
人類史上最初にこの条件を満たしたものが貴金属だった。マネ−が貴金属だった時代、貴金属が存在しない場所では経済発展は起こりえなかった。スミス由来の経済学は商品同士の交換をのみ論じる。道徳論から出発したスミスにとっては、欲望の塊ともいうべきマネ−は直視しえないものだったのかもしれない。本開発論は事実観察的立場を取る。
欲望の塊も客観的観察の対象でしかない。マネ−を媒介としない物々交換は、人類史上で有意の記録は残していない。この点、スミスの経済学は事実無視である。この図式で考えると、ヨ−ロッパがテイクオフする第一条件は、貴金属が他の世界から流れ込んで来ること。この点についてはすでに述べた。しかし貴金属マネ−だけに拘っていたとしたら、ヨ−ロッパの決定的テイクオフはありえなかった。ヨ−ロッパだけがテイクオフした理由。それは信用創造、つまり必要に応じていくらでもつくり出すことができるペ−パ−・マネ−を生み出した点にある。
http://homepage3.nifty.com/sekiokas/Topfile/ResDev/Develop/Deve-kouki/matome.html
◆このように国際通貨の歴史を振り返ってみると、マネーの価値とは労働力と生産力の事であることがわかる。まずイギリスが産業革命によって世界の工場と呼ばれ、圧倒的な生産力を誇った。その為にイギリス・ポンドが国際通貨となった。
その後、二度の世界大戦を経て、アメリカが世界の工場となり、USドルが国際通貨となった。つまり信用創造の面からはゴールド(金)は二次的な役割しか果たしていない。金はもはや商品地金としての価値しか認められていない。それよりも技術力や生産力のほうが通貨の信用の裏づけとなっている。それを決めるのは労働力の量と質だ。
1970年代から日本が世界の工場と呼ばれ、世界中に日本製品が溢れた。しかしながら円はドルに変わる国際通貨とはなっていない。相対的にアメリカの産業力は低下して来ているが、ドルが国際通貨の役割を果たしている。円がなかなか国際通貨としての地位が向上しないのは、円での決済が認められないからだ。米国国債もサムライ債で発行されれば、円も国際通貨として認められるだろう。
中国が世界の工場と盛んに宣伝されている。しかしながら関岡教授が指摘するように、中国は法体系が整備されていない。例え整備されたとして中国国民はその法に従うだろうか。その法以前のモラルは世界最低の民族だ。とても中国が世界の工場となるとは思えない。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu42.htm