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(回答先: Re: 「敗戦責任」と天皇 [その1] 投稿者 甘南備の住人 日時 2002 年 11 月 19 日 04:24:43)
甘南備の住人さん、こんばんわ。
>日本国の経済的な挫折や第3次世界大戦への危機が目の前に迫っているこの時期に、
>天皇制といういつでも討論できるようなテーマをぶっつけてくるのは何故だろか?な
>どと、謀略のイロハを思い出しながら板の動きを眺めていますが...
政治的制度ではなく、国民的価値観として今なお重要な位置を占めている天皇制は、良きにつけ悪しきにつけ、日本国の行く末に影響を与えるものだと考えています。
今回書いた目的は、天皇制を政治から切り離して明治維新以降の近代史を捉え直そうというものです。
言ってしまえば、右翼・左翼がこぞって天皇制を取り上げているが、それは近代国家日本の動きに直接関係あるものではないから、棚上げしようという提案です。
近代130有余年でやっかいな問題になった天皇制は日本という近代国家の衣装であったかもしれないが、政治権力の実体は別のもので動かされてきたと考えています。
天皇を崇拝したり敬愛するのも勝手、天皇を悪魔と考えるのも勝手と認め合うことで、現在の国難や国際情勢にどう処していくかという議論がまっとうにできると思っています。
端的に言えば、天皇を尊重しているから愛国者、天皇に反対しているから非愛国者ないし売国奴という不毛な精神情況を解消したいということです。
>法律、なかんずく憲法は現実の反映と言うよりもむしろ将来にわたる規範というか望
>ましいと考えられる方向を示したものだと考えているからです。だから、明治憲法が
>制定されたから直ちにその通りにならなかったからと言ってなんらおかしいことはな
>い。諸外国でも同じような試行錯誤の結果としてそれぞれの国体を形成されていると
>思います。
「制定されたから直ちにその通りにならなかった」ことを云々しているわけではありません。
憲法や法律の規定がそのまま内実的に適用されるわけではないと考えていますが、明治憲法の規定も含めて、形式的外見的には適用されています。
法的規定や形式的統治構造では見えない政治過程を捉える必要があると思っています。
せっかくお考えを提示してもらったので少し批判させていただくと、現憲法の前文や教育基本法ならそのようなお考えでもいいと思いますが、憲法本文は、統治構造を規定するものであり、その内容が諸法律の基礎となり行政の課題となるものですから、「その通りにならなかったからと言ってなんらおかしいことはない」というものではありません。
とりわけ統治構造の規定は、それがその通りに施行されなければ、国家の体を為さなくなります。
そして、被支配者は、規定を頼りに生活していかざるを得ません。
>徳川400年(でしたか?)の治世の末期の状況は支配階級である武士の極端な退廃と
>町民層の極端な貧富の差によって非常に不安定な状態にありました。
300年の徳川時代が不安定な状態になったのは、諸外国の圧力のなか、それにどう対応するかという対立が国内で起きたからであり、「支配階級である武士の極端な退廃と町民層の極端な貧富の差」が進んだからではありません。
江戸期の後進性や政治的腐敗をことさら描くのは、徳川幕府を倒して政権を樹立した勢力が歴史教育を行ってきたからです。
>徳川から統治権を引き継いだ新政府は、だから、世情の安定から統治を始めなければ
>ならなかったわけです。
>しかも、アメリカからは黒船が来て開国を迫る。
>辺境にあって徳川の目が行き届かなかったために武器・兵法・キリスト教に至るまで
>西洋の事物に接することが出来ていた新政府の高官には、宣教師や貿易商人の口を通
>して、植民地化され国としての主体性を奪われている東南アジアの状況が解っていた
>のでこれに対する対策も講じなければならない。と、いわゆる「内憂外患」の状態が
>新政府の出発点であったわけです。
幕府は現実主義的なやむを得ない開国派で、新政府は、国内騒然を引き起こしたかつての攘夷派だと言え、既に開国派に転じた勢力が打ち建てたものです。
開国後の諸外国はそれぞれ日本に対する権益拡大を企図し、英国は薩長に肩入れし、フランスは幕府に肩入れするという状況であり、植民地化の危機は既になくなっていました。
米国は南北戦争(1865年終結)の後始末に追われ、欧州は、ドイツやイタリアの台頭で風雲急を告げ、1870年には普仏戦争が勃発しています。(フランスの敗戦)
既に大英帝国の絶対的優位は揺らぎ、植民地の拡大ではなく、新興国から既得権益を守るという姿勢に転じていました。
幕府は、中国の現状を知っていたので、植民地化されたり戦争で領土を割譲されるよりはましだという現実主義的判断で開国に踏み切ったのです。
危険な冒険主義に走ったのは、英国と戦端を開いた長州であり薩摩です。
>このような中で彼らは何を考えたか。
>諸外国の干渉と植民地化を防ぐための方策を建てなければならない。
>諸外国に乗じられることの無いように国内の安定を図らねばならない。
>それらは休む間もなく急いでやり遂げねばならない。
>しかし国内の工業力は絶望的な後進の状況だ。
>こうした八方ふさがりの中で、何とか考え出されたのが、天皇制の強化確立と言う、
>ある意味では麻薬にも似た国体の採用だったのではないかと考えています。
>つまりは沈没しかけている船を救うための緊急対応として打ち出されたものではな
>かったかと考えています。
明治維新政府は考えたのは、すぐに征韓論が打ち出され江華島事件も起きたように、英国を真似た対外拡張政策です。
欧州情勢を睨みつつ、欧州諸国の利権が及んでいない朝鮮半島に利権を求めたのです。
そのために、「地租改正」や「徴兵制」という国民が疲弊する政策をとるかたちで軍備の拡張に励みました。
幕末と明治初期の農民反乱の発生件数を比較すれば、どちらがより国内騒然であったがわかります。
明治に入って農民反乱が多発したのは当然と言えば当然です。
年貢米でよかったものが金納になり、入会権として維持されてきた山林が私的所有地になり、働き頭の青年が兵隊に採られるようになり、有償の義務教育まで押し付けられる事態になったのですから、一般農民の生活はひどく困窮するようになりました。
近代的軍備の拡張は徴税と輸入で行われたのですから、国内の経済は疲弊します。
経済状況は短期間で変わるものではないので、行政機構が肥大化し、軍事組織がより強化されれば、国民負担が増大するのは自明のことです。
その上、維新政府は、外国金融家に奉仕するために、金と銀の両替レートをおかしく設定して、ほとんどと言える金の流出を招きました。
(情報がなかったからという言い訳がされていますが、そんなことはありません。百歩譲っても、ほぼ全量の金が銀に変わるまで手を打たないということは考えられないことです)
そして、保有する金がほとんどなくなったために、政府は英国を中心とした金融家から借金をしながら輸入を賄っていったのです。(信用が低く見られていたので高利での借り入れでした)
天皇制価値観の強化と国民へのその醸成は、このようなはちゃめちゃな政策を覆い隠すためであり、議会開設など高まる政治的対立を抑え込むための手段です。
その後にしても、江戸時代であれば年に90日間も働けば生活ができていたのに、年間300日ほど働いてようやく生活できるという状態が続いたのです。
単なる空想ですが、江戸期の本百姓が昭和初期の庶民の生活と比較して、昭和初期の生活を選択するとは思えません。
>そしてある時期、明治の末期か大正の中ごろまでは、苦し紛れに捻くりだした体制が
>非常に有効に働いてきたと思います。この意味で私は新政府の実権を握っていた連中
>は、その教養や出身階級の低さを超越した大きな働きをしたと考えています。
>こうした働きを、後世の醒めた目で見て、法の定めるところに合っていないなどとは
>言って欲しくはない。
物事をどう評価されるかはそれぞれの価値観ですからかまいせんが、「教科書」で教えられる内容で明治維新や明治政府を評価されていると感じます。
>また、「天皇が神ならば官僚の手を借りることなく総てを自分の判断で行え」などと
>も言って欲しくない。「神格化する」という言葉は、言い換えれば、神でないから神
>のような権威を持たせようと言う位置づけであり、そのことは当時の国民は十分に理
>解をしていたのではないかと思っています。
私は、天皇を神とすることで、官僚たちが、自分たちの愚劣な政策に権威を付けて国家意思とすることができたと書いています。
神格化を法律や国民意識としても推し進めていたので、おっしゃられるような認識をしている国民も、そのような考えを表明したり、そのような考えに基づく行動が起こせなかったのです。
天皇問題を持ち出せないということは、天皇が主権者になっていますから、実質は薩長を中心とした官僚たちが決定しているとしても、決定された政策には文句を付けられないということになります。
逆に言えば、薩長を中心とした官僚たちは自分たちが決定した政策であっても、天皇による形式的裁可さえ得れば絶対性を手に入れることができるわけです。
>ただ、現在のわが国や東南アジアの有り様を見れば、ほとんどの国が念願の独立を果
>たし、そこそこの生活を享受しているので、明治憲法の方策はあながち間違いではな
>かったのではないかと考えています。
東南アジアなどの植民地の独立については、支配構造が変わるという混乱を日本がもたらしたことで独立を勝ち取りやすい条件をつくったということは認めますが、明治憲法下の国策が主体的に独立に貢献したわけではありません。
大東亜戦争が東南アジアの独立に貢献したという戯言めいた弁解をする人が少なからずいるから、日本という国家の品格が貶められることになります。
堂々と、「日本は、英蘭に代わってアジアに覇権を打ち建て、日本型支配で自国を中心にアジアの繁栄を築こうとしたが、戦争に負けてその夢も破れ、災厄だけをもたらしてしまった」と説明するほうが、まだ品格が保てると考えています。
英国やオランダに代わって自分の権益にしようとして果たせなかった国家が、独立とその後の自立に貢献したなどと言えば、その対象となっていた国家・国民は、なにをふざけたことを言っているということになります。(立場を変えてみればすぐにわかることだと思いますが...)
英国自体が、植民地というかたちの経済権益確保が個別経済主体の利益にはなっても、国家としては持ち出し(損失)であり重荷であることを認識していました。
独立に反対したかのように見える反独立戦争も、独立後も経済権益を確保するためのものでしかありません。
お互い戦争を続けても仕方がないから、こういう条件であれば独立を認めようというものです。
勝手な独立を認めてしまえば、すべての経済権益を失うことになります。
>ただ、共産勢力による思いがけない干渉とその結果については、別次元の問題とし
>て、今後の解決に待たねばならない問題ではありますが。(外国勢力の排除と国内問
>題としての勢力争い=内戦 とは、次元の異なる問題であると考えています。それを
>一緒くたにして考えるから責任を他人に押し付けるような発言になる。)
この部分は、なんとなくイメージは湧きますが、具体的にどのようなことを言われたいのかわかりません。
「共産勢力による思いがけない干渉とその結果」とはどういうことを意味するのですか?
>新憲法下における天皇制については、憲法で天皇の行う国事行為の範囲がキチンと定
>められており、政府による案の作成と国事行為としての天皇の裁可の区分が守られて
>いるので、天皇の目的外利用(と言っては失礼ですが)の虞はほとんど無いものと思
>います。それも普段はほとんど意識しないくらい自然な存在となっており敬愛してい
>ます。(少なくとも私の中では)それに比べれば、法王など宗教的な指導者の方が何
>倍も危険な存在だと僕は思っています。何しろ宗教裁判権を持っていますからね。祭
>文の強制による無意識下の誘導も出来るし...(これは一種の洗脳でしょ?)。
現在の天皇制については、天皇を尊重する人は愛国的で、天皇に反対するものが非国民やおかしな考えの持ち主だと裁断されてしまう意識情況につながっていることを問題にしています。
外国のことはそれぞれの国民がケリを付けるしかないと考えています。
学校教育を含めて、その内容を正しいものとして受け入れなければうまく生きていけないにしているシステムは、洗脳だと言えます。