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今週号の「ニューズウイーク日本版」には、拉致被害者家族会の訪米に関する記事が二つ掲載されている。
どちらも、日本のメディアによって報道されたものとは異なり、政治的利用しているだけだと冷ややかに指摘している。
P.13
■ 拉致被害者家族を歓迎したアメリカの本音
「今後、北朝鮮と接触する際は必ず拉致問題を取り上げる−先週ワシントンを訪れた拉致被害者の家族によれば、彼らと面会したアーミテージ米国務副長官はそう約束したという。
それが外交辞令ではないと確信できる理由は、残念ながらあまりない。家族側は経済制裁によって圧力をかけるよう求めたが、国務省の東アジア担当者は本誌の取材に、制裁は「理論上の選択肢」にすぎないと語った。
<中略>
家族への丁重な対応は、今は日本の機嫌を損ないたくないという思惑の表れとみたほうがよさそうだ。」
P.11
デーナ・ルイスさん:「拉致家族の訪米と国際政治の現実」 − アメリカ政府は拉致被害者家族の悲痛な訴えを外交上の道具として冷徹に利用するだろう −
「北朝鮮による拉致被害者の家族4人が先週、問題解決に向けて米政府の支援を要請するためワシントンを訪れた。彼らを待っていたのは予想外の歓迎だった。
<中略>
訪米は大成功だった。だがそこに希望ではなく、恐ろしい既視感を覚えるのは私だけだろうか。拉致被害者の家族が夢を奪われたように、日本の「無垢の時代」もまた失われたのではないかという思いを、私は禁じえない。
<中略>
20年以上も自国の政府に無視され続けてきた家族の嘆願が、大きな政治的思惑のなかでほんのつかの間、世界の注目を浴びる。外交で得点をあげたい日本の首相。拉致被害者の何人かはすでに死亡しているという話を告白することで、日本から巨額の援助を引き出そうとする北朝鮮。そして将来、朝鮮半島をめぐる駆け引きにこの問題が利用できるかもしれないと考える米政府。
<中略>
誤解しないでほしい。一般市民の思いが国際政治に反映されることなどありえないとは、私は思っていない。現に、安易に外交上の勝利をねらった小泉政権の思惑を打ち砕いたのは、日本国民の激しい怒りと、ピョンヤンでの日朝首脳会談を「勝利」とうたうことを拒否した日本のマスコミ態度だった。
<中略>
拉致被害者の家族がワシントンを訪れたのも正しい選択だった。テロリストや「悪の枢軸」に対する強硬論が米政界で高まっている今だからこそ、彼らの声に耳を傾ける者がいた。利用価値があると思われたからこそ、例外的に門戸が開かれ、話を聞いてもらえたのだ。
<中略>
だが同時に、悲しい気もする。日本は過去数十年もの間、国際政治の血も涙もない現実とは奇跡的に無縁なようにみえていたからだ。
<中略>
彼らが子供たちに再会できる日が来ることを願ってやまない。ただ、日本が「無邪気な子供」に戻れる日はもう来ないかもしれない。」
※ 参考書き込み
『「救う会」は、「家族会」を政治的に利用し、拉致被害者の願いを先送りし、日本に大災厄を招こうとしている』
( http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/1015.html )
『朝鮮半島問題でなければ放置プレイを主張します − 朝鮮半島を見捨てた日本は偉そうなことを言えない −』
( http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/1025.html )