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(回答先: EOさんたちへ 投稿者 李(どうせ死ぬ身) 日時 2003 年 3 月 10 日 02:51:42)
李(どうせ死ぬ身)さん、こんにちは。
つい、横レスしてしまいました。なんとなく、なんとなく投稿したい衝動に駆られたのです。
わたしは、ここで活躍されている皆さんのように素晴らしい知恵や知識を持ち合わせていないので、感じたままを書きました。
李(どうせ死ぬ身)さんのレスを読ませていただいて、また少し思ったので追レスします。
最初の主題「薄っぺらな反戦主義者」からはそれるかも知れませんが、、、
現代人は、とかく二つの選択に分けたがる傾向にあるようです。
まあ、この世の中のものは相反する二つのものから成り立っている事は自明なのですが。
善と悪、判りやすいですね、日本人はこの定義分けを昔から持っていたのでしょうか?、学がないので知りませんが、、
この議論の中では、例えば家族を殺されても私は暴力を使わない、か、そうなったら立ち向かうのか、二者択一の議論になってしまいましたね。
この二つの定義分けは、人間の思考を単純化するので楽になりますが、果たしてそれが答えへの近道になるかといえば、逆のようですね。なぜならば、片方の選択を選べば、途端に逆の考えを否定する事になるからです。
そもそも、このように簡単に物事を二つに分けて考える事が様々な問題を引き起こす原因になっているのではないでしょうか?
これは、価値観にも通ずる事だと思います。
重複しますが、一方を選べば片方は敵になるのだと思います。
例え話にして申し訳ないのですが、殺生をしなければ人間は生きていけません、かといって無闇な殺生は人を滅ぼします。二者択一ではないのです。我々は第三の選択を模索しなければならないのではないでしょうか。いや、第四、第五、第六の選択もあるでしょう。
答えは私も知りません、でも、アメリカのインディアン達の自然と共生する思想に物凄く惹かれます。かつての日本人も持っていた何かかもしれません。
動物達の血を見ずに、肉を食らう我々、この間のバーチャルな湾岸戦争と似ていますね。イラクの戦争も同じようになるのでしょうか?醜いものを見ないで生きている我々は何者なのでしょうか?