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(回答先: ちょっと待って下さい 投稿者 李(どうせ死ぬ身) 日時 2003 年 3 月 08 日 03:24:00)
大義名分とか、善悪を全面に主張する人々には抵抗を感じる。
学校の先生、共産党、道徳をふりかざす人、なにか自分が善人のようにふるまう人。その反面、過去に傷がある人、犯罪者、暴走族、放蕩息子、やくざの方、このような人達には、一見恐いが親しくなるととても人間が出来ている人たちがいる。
人間の成長の過程は、様々だ。どの人も特別な人生を経て成長してゆく。
頭の中で自分は絶対正しいと信じている人たちは、何をいっても無駄、成長できていないから。反面、我がままに生きて、辛酸をなめてきた人は、包容力があるだろう。傍から見て、前者がアメリカ、後者はイラクかな?、、いろんな見方ができるけど、、
パレスチナの人々も、実際に触れるとあれ程の迫害に合っているのにも関わらず、おおらかで優しい人が多いという。皮肉ですな。
前者のような人が、国の代表に選ばれてしまうのは、国として成長できていない証拠なのではないだろうか。いな、それにもまして、甘い言葉、嘘の正義に簡単に騙されてしまう人々があまりに多い結果なのかもしれない。