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投稿 平成15年03月04日23時13分
太田龍の時事寸評
平成十五年(二〇〇三年)三月四日(火)
(第五百六回)
○中西輝政著
日本の「死」
文芸春秋、平成十五年二月刊。
「日本は死ぬだろう。いや、すでに死んでいると言ってよい」
(まえがき、一頁)
○この命題はどうか。
○この場合の主たる問題は、この論者にとっての「日本」なる
ものの定義、であろう。
○しかし、どのように定義するにしても、「日本」には、
(1)天照大神を祭神とする伊勢神宮(内宮、とも言い、単に
「神宮」とも言う)の祭祀。
(2)天照大神から続く歴代天皇。
(3)日本語。
この三者が必須の要因として前提されることは自明であろう。
○前出、中西著は、日本は死ぬだろう。いや、すでに死んでいる
と言ってよい。と述べる。
○すると、ただちに、当然のことながら、それでは、
天皇はどうなのか。
と成るであろう。
○本当に、「日本は死んだ」とするなら、
それでは、「皇室も死んでいる」、
と言うことになるのだろうか。
○昭和二十年八月。
日本政府は、
国体を護持し得るとの絶対条件を付けて、いわゆる連合国の
ポツダム宣言を受諾した。
○このことは、よく知られて居る。
いや、今日ではそのことすら、今の日本人には知られて居ない
のかも知れない。
○いずれにしても、国体を護持し得なければ、一億玉砕を覚悟し
て本土決戦、と成る筈であった。
○しかし、この「国体」とは何のことか。
それは、明治二十三年に制定された「大日本帝国憲法」では、
「大日本帝国は、万世一系の天皇、これを統治す」、と、
定義されて居た。
○つまり、万世一系の天皇の統治。
これが、国体である、と言う。
○それでは、いわゆるポツダム宣言受諾後、どう成ったか。
○天皇は、戦勝連合国の日本占領軍総司令官の支配下に置
かれる、とされた。
○これで、日本の国体は「護持」されたのか、それとも「護持」
されなかったのか。
○そのことこそが、主たる問題ではないのか。
○故小笠原孝次のような神道家は、昭和二十年敗戦と、
二十一年元旦の、いわゆる人間天皇宣言によって、神武
天皇以来百二十四代つづいた皇統は、昭和天皇の代で終焉
した、と明言して居る。
○そのあとのいわゆる皇室とはそれでは何者か。
この問題については、小笠原孝次著参照のこと。
(了)