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http://www.japan.msf.org/news/20030224-1.html
2003年2月24日
中朝国境で出会った難民の少年たちの証言
(*この文章は2001年8月7日に作成されたものです。)
中国延辺(イェンビェン)朝鮮族自治州の延吉(イェンジ)の西延吉市場
彼とは偶然に街中で会った。人目を引かないよう薄暗い場所を選んでしばらく話をした。彼はおびえていた。年齢は18歳、ハムギョンブット(咸鏡北道)の出身である。一月ほど前、初めて中国に来たという。道端や橋の下で寝ている。母は3歳のとき亡くなった。父は農民だったが、心臓病を患い死に瀕している。父親の薬を買うためお金を稼ごうとやってきた。 必要な額の金を稼いだらすぐに北朝鮮に帰ろうと思っている。帰国するにはカイシャントゥン(開山屯)までバスに乗り、そこから川を渡る。お金は没収されないようにビニールに包み飲み込むのだという。中国にやってきたとき数人の友人と一緒だったが皆姿を消し、今はどこにいるか分からない。一人だけが残って、今では二人きりである。
中国延辺朝鮮族自治州にある国境警備署、図們(トゥーメン)
国境地帯から離れようとしている4人の少年に出会った。さほど怯えているようには見受けられない。中の一人は特に健康状態が悪い。彼は老人のような顔つきですぐに立ち去った。残りの少年たちは中国警備兵の視線を受けつつ、話してくれた。 一人は17歳、残りの二人は共に15歳。ハムギョンブット(咸鏡北道)の出身である。三人とも両親のどちらかが、病気や飢餓で亡くなっている。皆北朝鮮に畑仕事を手伝う兄弟姉妹を残してきている。家族は彼らが中国へ向かったことを承知しており、それも今回が初めてではない。中国へ来たのは北朝鮮には食べ物がないからで、中国でお金を稼ぎたいと考えている。どの少年も政府の食糧援助は受けておらず、外国からの食糧供給のことも知らない。 15歳の少年の一人は去年も中国に来ており、今回は10日ほど前にやってきた。前回より今回の方が困難であった。もう一人の15歳も出身は同じだが、2週間ほど前に別ルートで入国した。以前から北朝鮮側の国境警備兵の数が多かったので入国は容易でなかった。二人ともお金を稼いで冬には北朝鮮に帰りたいという。それまでは、国境線沿いの税関のそばの現在は廃用になった病院で眠る。 国境警備署の横に韓国からの旅行者が観光バスで乗りつける。若者たちは彼らに物乞いをする。時には南の通貨がもらえる。これは闇市で取引され、北朝鮮で使える。履いている靴は物乞いをして得たお金で買ったものだ。「兄」と称する北朝鮮人の年長者たちは、そういったお金も巻き上げていく。