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仏教とは元々は、
一切が無常無我であり関係性の中にある(空である)
という縁起の法を悟って、なにかに拘って執着する
ことで生まれる苦しみを無くす教えだ
だから戒律の目的は、そうした執着を生む欲望を減らすことにある。その意味では昔は合理的だったんじゃない?
●仏教の「戒律」には一つ一つ意味かある!
では、ここで仏教の「戒律」と「道徳」の違いを考えてみよう。
仏教の戒律は、在家で五つまたは十、出家で数百に上る膨大なものである。
現代日本でこれらを厳格に守っている既成仏教の出家修行者というものは非常にまれになってしまった。出家といいながら、月に一度は決まって居酒屋に来るというお坊さんも実在する。月一度ならましな方だ。宗派によっては公然と認められている。
話がそれてしまった。ここで、在家の戒律をまとめて紹介しよう。【】内は一般に知られている漢訳言い方である。
殺生をしないこと。【不殺生】
与えられていないものを強奪しないこと。【不偸盗】
愛欲における邪悪な行為にふけらないこと。【不邪淫】
嘘の言い方をしないこと。【不妄語】
この四つが五戒、十戒に共通する。五戒は、これに加えて、
酒を飲まないこと(慎むこと)。【不飲酒】
十戒は、先の四つに加えて、
軽薄な言葉を話さないこと。【不綺語】
悪口を言わないこと。【不悪口】
仲違いさせる言葉を話さないこと。【不両舌】
心に貪りを持たないこと。【不樫貪】
心に怒りを持たないこと。【不瞋恚】
真理を否定しないこと。【不邪見】
これらの戒律は、一見道徳的なように見える。しかし、大きく違うことがある。それは、きちんと理由づけがあることだ。道徳には理由がない。単なる契約、約束事にすぎない。
その戒律の理由について、ここでは煩雑になるので深く立ち入らないことにするが、この戒律を守ることは周囲の人々に良い影響を与えるだけではない。道徳の場合、自分の周囲との関係を第一に考えることが多いと思われる。支配のための規律なのだから当然といえば当然なのだが。だが、戒律は、自分自身のために守るという要素が非常に大きいのだ。
道徳を守って得られるものは、称賛と自己満足である。しかし、戒律を守れば、自らの精神が浄化され、悪い要素の蓄積を防ぐことができるのだ。見かけは似ていても全く違うといえる。
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