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(回答先: では、私見ですがー訂 投稿者 中央線 日時 2003 年 3 月 01 日 05:07:05)
ここから先は、このデータにいきついた個人的契機ですので
直接関係はございません。
私とて、やむごとなき日々を
送りたい、一人です。
私個人としましては、現状が続けばそれに越したことはないと思います。
しかし、世界権力・英米による、一方的かつ、独善的な、ある種の支配が強まっていると強まっていることは、ここで示されているとおりですし、私も痛感するところであります。
また、資本主義、工業化、近代化なども、限界を迎えるたびに大戦争が起こってきたとことです。
私は、いまがその山場ではないかと思うのです。
俗称世界権力が、この世界を手中に収めたとき、この世界はどうなっているのか?はたして、人々に自由はあるのか?人生という、模索の日々を送るその日々は過去のものとなるのか?
まったく、御免であります。
私は、心から自由を欲しています。
ただ、ただ単に肉体の自由というものではなく、
探求の自由、模索の自由を含めてです。
ただ、私の場合その自由への欲求は、宇宙と科学(自然と置き換えてもいいです)にも向けられたということです。まあ、ディレッタントですので、専門の方の追及には及ばない点もありますが。
あのサイトを紹介いたしましたのは、皆さんに柔軟になっていただきたいということもあるのです。
地球に存在した、宗教、科学、などをもう少し上の立場から眺める。これは思い込みかもしれませんが、ちょっとした爽快感が味わえる。それだけで十分ではないでしょうか?
たとえば、唯物論。
人間の精神は、この理論の器に収まるものかどうか?
大いに、懐疑すべきではありませんか?
この世界に、根本的な真実があるとすればどのようなものだろうか?それを、日常を通して追求することは非常に、すばらしいことと思います。
これらの課題は、どうすれば、人生を日の当たるものにできるかという個人的な側面から生まれたものです。
その点で、やや偏向気味でありますがお許しください。
彗星に関してですが、これに関しては、事実であれば避難行動に出るべきです。私も、可能性が0でないから、紹介しているまでです。
ここの論客は、懸命に「近代」の負の側面を洗い出されておりますが、正直このままでは焼け石の水ですね。私も戦列に加わりたいものですが、残念ですが、もう手遅れかもしれません。もう、「精神の自由」と言う言葉からして、過去のものになり行くのでしょうか。