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2003年2月28日 金曜日
パンゲア超大陸が完成した2億5000万年前には、海面の高さが現在と同じだったが、1億年前には300メートルも高かったという。そこで異例中の異例である中東油田の起源について、次のように推理したい。
ジュラ紀後期から白亜紀中期までの時期は、なにもが現在と違っていた。平均気温が23度もあった。それに対して現在の平均は15度である。高温は大気中の炭酸ガスの濃度が高かったための温室効果と考えるのが自然だ。その時代、パンゲア超大陸の分裂に伴って、地下から莫大な量のマグマが噴出し、同時に大量の水と炭酸ガスを大気に供給していたと推定しうる。
高温と豊富な炭酸ガス。植物プランクトンには最適の環境である。中東油田の異例の石灰岩の存在は、かってそこで莫大な有機物が生産されたことを示唆している。通常は、植物プランクトンの遺骸のうち有機物はバクテリアによって分解されてしまうが、その量が余りにも多量だと無酸素状態に陥り、有機物は分解されず、そのまま堆積する可能性が指摘されている。その有機物が在地で石油に転化した!まだまだ不完全な理論だが、筆者としては一応満足している。
現在、世界全体で、3万以上の油田があるといわれている。しかしその埋蔵量が50億バレル以上の超巨大油田は、27個しかない。驚くべきことに、そのうち24個が中東に集中している。中東の油田地帯の面積は、せいぜい100万平方キロメートルしかない。それは地球表面積の0.2%にすぎない。にもかかわらず、この狭い地域に、地球全体の石油埋蔵量の55%が集中しているのである。なぜ、こんなことになったのだろうか。プレート・テクトニクスの理論も加えて、考えてみよう。
中東油田地帯が乗っているプレートは、アラビア・プレートである。アラビア・プレートの大部分は、盾状地(シールド)からなっている。盾状地は、5億7000万年以上昔につくられた古い大陸の塊りで、地殻が厚く固い。したがって破壊されにくく、安定地塊となる。アラビア盾状地は、もともとアフリカ盾状地の一部だったが、約2000万年前紅海によって裂かれた。そして、イランのザクロス山脈の北側を走る大断層を境に、ユーラシア大陸(アジア大陸とヨーロッパ大陸の総称)と衝突しているのである。
この衝突は、現在も継続中だが、始まったのは比較的新しく、第三紀(6500万年前から250年前)のことと考えられている。それ以前、つまりこの壮大なる「衝突」が始まる前は、アラビア・プレートとユーラシア大陸の間には、常にテチス海(古地中海)と呼ばれる海が広がっていた。このチテス海は、現在の地中海から中東、インドを通ってインドネシアの辺りまで続いていた、くさび形の大きな海である。中東のみならず、北アフリカやアメリカの油田地帯も、かつてはこのチテス海の周辺にあったのである。
2億数千万年前からは、アラビア・プレートは、最近まで長い間安定した状態にあったらしい。気候も温暖で、赤道に近い場所に位置していたようだ。長い時代の間には雨の多い時代、砂漠のように乾燥した時代もあった。また海面が上昇して海が深くなったり、海面が低下して海が浅くなったりした。一般的に、海の深い時代には有機物を含む頁岩が堆積し、石油の根源岩となった。反対に海の浅い時代には、石油の入れ物(油層)に都合のよい砂岩や石灰岩が堆積した。
ところで、根源石(石油の素となる有機物を多量に含んだ岩石)の発達に関するかぎり、中東は、他の産油地域に比べてとくに秀れているわけではない。1万メートルに達する厚い堆積岩のなかかでも、有機物に富んだ層はそう多くはない。仮に有機物を含んでいたとしても、石油になるだけ熟成していない場合がしばしばである。すでに述べたが、アラビア・プレートは、過去2億年の間、だいだい赤道近くに位置していたらしい。
熱帯の海は、案外プランクトンなどの生産性が低いのである。それに、プレート・テクトニクス的に安定している場所では、有機物の熟成に必要な地熱に不足している。このように、とくに有機物の堆積が豊富だったとはいえない中東で、莫大なる石油の集積が起きたのは、なぜだろうか。論理的な答は、次の二つしかない。
・ 熟成された石油を効率よく集めた。
・ 形成された油層が破壊されないで残った。
石油を効率よく集めることができたのは、トラップ−−根源岩から逃げてきた石油を獲えるわな、つまり油層が巨大だったからである。盾状地(シールド)という安定した基盤の上に乗っており、かつ長い間プレート・テクトニクス的に安定していたため、中東の海の堆積物は、おおむね水平(もっとも自然に)堆積した。そのままだったら、トラップの役割は果たさなかっただろう。
具合のよいことに、水平に堆積した地層の真ん中が、ちょっと持ち上げられて、大きな皿を伏せた構造をつくった。石油がそれ以上逃げられない構造をつくったのである。その原因は、たいへん古く5億年も昔に地下深く堆積した「岩塩」にあった。地下に埋まった岩塩は比重が軽いので、どうしても浮き上がろうとする。その力があまりにも強いと、上に乗った地層を破壊してしまう。
しかし中東では、上に堆積した地層が厚く、重かったせいか、すこし持ち上げただけだった。椀ではなく、巨大な皿をつくったのである。当然ながら、その直径は長大なものとなった。つまり網を広く張ったのである。トラップが巨大だったため、広範囲の根源岩から効率よく石油を集めることができたのだ。
世界最大のサウディアラビアのガワール油田や、第二位のクウェイトのブルガン油田など、超・超巨大油田は、このような背景でできた。そして、この二つの油田は、幸運にもプレート・テクトニクス的に安定している地域にあったため、できた状態のまま生き残った。しかしアラビア・プレートの先端にあるイランの油田は、そうはいかなかった。実は、イランの油田には「謎」があるのだ。
サウディアラビアやクウェイトの油田は中生代のジュラ紀(1億9000万年前〜1億3600万年前)あるいは白亜紀(1億3600万年前〜6500万年前)の地層にある。それに対しイランの石油は、第三紀中新世(2600万年前〜700万年前)の石灰岩層に入っている。しかるに不思議なことに、中に入っているイランの原油は、1億年も昔、サウディアラビアやクウェイトの原油と同じ頃できたものである。
この謎をとく、唯一の仮説は、「イランでは、一度でき上がっていた古い油田が、プレートの衝突によって破壊された時、逃げた石油が、それより上部の新しい地層のトラップに再び捕らえられた」というものである。それは、われわれ石油消費者にとってはたいへんツイていたといわねばならない。実際には破壊されたまま、再びとらえられなかった例が、地球上には多いと思うからだ。
ところでアラビアプレートの衝突の最前線である。いずれもアラビア・プレートの運命は、今後どうなるのだろうか。ザクロス山脈の衝突現場は、大きくみるとアフリカ・プレートとユーラシア・プレートの衝突の最前線である。いずれアラビア・プレートも、巨大なユーラシア大陸へ突っ込んでいく。そうなれば、現在の中東油田も、インド亜大陸とユーラシア大陸の衝突現場であるヒマラヤ山脈のように、めちゃめちゃに壊されてしまうだろう。この点でも、現代に生きるわれわれは運がよかったといえる。いずれにせよ、石油も、母なる地球のいとなみの賜なのである
(東京国際大学教授 関岡正弘)
以上のような関岡教授の論文によると、石油の生成と油田の出来た原因を見れば、石油というものが奇跡の産物であり、その量は有限であり、いくらハイテクで探査したところで、50億バレル以上の巨大油田は発見がほとんど不可能であることが想像できる。実際にも1965年以降には巨大油田は発見されていない。過去に存在した巨大油田は地殻の変動により破壊されたのであろう。まだ発見されずにいる油田は小規模なものだけである。
アメリカという巨大国家の盛衰は国内油田の発見と共に始まり、その油田はあと数年で枯渇しようとしている。つまりアメリカという巨大国家はあと数年で衰退して行くことがはっきりわかっているのだ。ブッシュ政権が基地外のようになって中東に軍隊を集結させているのも、中東の石油を武力で独り占めせんがためである。しかし石油を独占したいのはアメリカだけではない。
ロシアも中国もEU諸国も同じである。普通ならアメリカに協調するはずのフランスやドイツが、予想外に抵抗しているのも、中東の石油が地球上に残されたわずかなものだからである。20世紀初頭から始まった石油文明はあと数十年で終わることがはっきりしている。自動車も船も飛行機もみんな石油で動いている。家庭や産業で使われている電気の過半数は石油を燃やして発電されている。つまり石油の枯渇が文明の終わりを予言している。
現在の科学技術をもってしても石油に代わりうるエネルギー源は目処がついていない。北朝鮮問題もエネルギーが問題になっている。重油が遮断されてから北朝鮮の夜は真っ暗だ。子供達はほとんどが栄養失調だ。農産物も石油が無ければ出来ないのだ。すでに採掘可能な石油の半分はすでに消費された。あと残りの半分は力のあるものと金のあるものだけが石油を消費することが出来る。そして力の無いもの、金の無いものは北朝鮮のように真っ暗な夜を迎え、子供達は栄養失調で死んでゆくのだ。
アラビア・プレートはなぜ石油の宝庫? 関岡正弘:http://homepage3.nifty.com/sekiokas/Topfile/History/rekisinonaka/1~16/4bonanza.html