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ドイツ人にとって「1月30日」という日付は、ある特別な響きをもつ。先週の木曜日が「その日」だった。1933年1月30日、ヒンデンブルク大統領がアドルフ・ヒトラーをライヒ宰相(首相)に任命した。ドイツ各紙は「ヒトラー権力掌握70周年」に関する論説を掲載した。5紙をプリントアウトして読んだが、各紙のスタンスがそれぞれ出ていて面白かった。保守系の『ディ・ヴェルト』紙は、「妥協の力」と題して70周年を論じる。今日、ドイツの状態は安定しており、民主的立憲国家に反対する左右両翼の有力な勢力も存在せず、右翼ポピュリズム(大衆迎合主義)の動きが他のヨーロッパ諸国〔この筆者はフランス、オランダ、オーストリアを念頭に置いている〕のなかで一番ないのがドイツである、と。そして、法に従う実直さや妥協・バランスを求めることが、政治的精神風土を特徴づけている。これは「ドイツの病」の兆候とされるが、まったく問題はない、と胸をはる。これに対して、旧東独系の左派紙『ノイエス・ドイッチュラント』は、大学教授の長文の論説を掲げる。1919年のヴァイマール共和国の成立からヒトラー権力掌握の前年1932年までの間に、異なる政党の11人の政治家が23の内閣を組閣した。最後のシュライヒャー首相は8週間しかもたなかった。そして、ヒトラーが首相に。この論説は、一般に言われるような1月30日以前が善で、その後が悪というような分け方を排する。そして、第二帝政からヴァイマール民主制、さらにはナチス独裁に至る「連続性」に着目する。この教授が旧SED(社会主義統一党) 系で、1918年革命を「歪めた」ヴァイマール民主制も批判の対象となる限り、こういった論法になるのだろう。ちなみに、ヴァイマール時代のKPDのスターリン主義的妄動に対する言及は皆無である。
リベラルな『フランクフルタールントシャウ』紙はヴァイマール民主制の「墓堀り人」として、フランツ・フォン・パーペンを紹介する。この人物は、ヒトラーが首相になる上で重要な役回りを演じた、共和国末期の首相である。在任中は、議会を解散し、緊急命令によって統治を行うとともに、危機を克服して「国民的再生」をはかることができるのは、ヒトラーを「飼い馴らして」、その協力を得た権威主義的政府だけだと考えていた。ヒトラーはこのパーペンの戦略に乗ったかにみせて、最初はうやうやしく、しかし、次第に本性をあらわしていく。パーペンが所属した中央党を含む全政党を解散させ、政党新設禁止法を成立させるまで半年もかからなかった。ヒトラーを「飼い馴らそう」として政権に引き入れたパーペン。彼が「墓堀り人」とされる所以である。
ところで、今月27日はドイツ国会〔ライヒ議会〕議事堂放火事件70周年である。この事件の翌日、大統領令で7つの基本権が停止され、共産党系の人物が一斉に逮捕される。翌月、全権委任法(授権法)がナチスの賛成だけで制定される。法律の内容は、「法律は政府も議決できる」「政府が議決した法律は、憲法に違反することができる」という凄まじいものだった。旧東独系週刊紙『金曜日』(Freitag)1月24日号は、ブッシュ大統領が「9.11テロ」を利用しているのは、ヒトラーが国会放火事件を利用したのとまったく同じだ、と書いた。国会放火事件はナチスの謀略だったが、「9.11テロ」の真の首謀者が明らかにされるのはいつのことだろうか。
ついでに触れておくと、「ヒトラーとブッシュ」という対比を行って物議をかもした大臣がいる。昨年9月、ドイブラーグメリン法相が、「ブッシュは内政問題から目をそらそうとしている。よくあるやり方だ。かつてヒトラーもしたことがある」と発言したのだが、これに米政府が激怒。「ナチスから解放してやった米国に向かって何を言うか」という激烈なバッシングが起こり、法相は辞任に追い込まれた。彼女は人物・識見とも女性政治家のなかではトップクラスで、連邦大統領候補にノミネートされたこともあった。
なお、ブッシュが大統領になった直後に、ヒトラーをめぐる歴史的資料との関係でブッシュについて触れたことがあるが、誰もが二人について、最初は軽くみていた。でも、二人とも「法による平和」の枠組を、あれよあれよという間に破壊していった。その際、二人の演説に注目したい。ブッシュの言葉づかいのひどさは何度か触れたが、ヒトラーの演説もまったく無内容だった。だが、そのパフォーマンスは人々をひきつけていった。ヒトラーが演説の練習をしている写真がある。それを見ると、表情の作り方、身振り・手振りまで相当研究していたことがわかる。同じく、ブッシュの言葉の「はちゃめちゃ」は、高校時代の作文の授業で零点をとっただけあって、年季が入っている。零点の作文は、「感情」というタイトルだそうだ。「感情」剥き出しの演説は、いまも昔も変わっていないということだろう。
とはいえ、1月28日のブッシュ演説をテレビで見て、オヤッと思ったことが一つある。それは、演説に妙な抑揚がついていて、身振り手振りがいつになく激しかったのである。あたかも練習を積んだヒトラーのように。そして、「サダア〜〜ム・フセイン」と連呼するときの思わせぶりな表情と声のトーンは何だろう。ヒトラーが「ユダヤ人」(Jude)という言葉を使うとき、「ユ〜〜デ」とビブラートをかけるときの口調を想起させる。今回のブッシュ演説の不快感は、その内容の傲慢・横暴さだけでなく、戦争を煽動する人間に共通して見られる自己陶酔の表情とパフォーマンスのゆえだろう。
いま一番危険でない国はイラクである。なぜなら、世界中がここで戦争が起こってほしくないと願っているから。そして、いま一番危険な男は、戦争に向けて目が座っているブッシュである。日本政府は、ドイツとフランスとともに米国に注文をつけるくらいの姿勢を示して、軌道修正しないと大変なことになるだろう。