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★ タイトルがあまりにもほほえましいので転載しました。
引退した貴乃花に代わるかのようにモンゴル出身の朝青龍が横綱に昇進した。今や東西両横綱ともに外国人力士となり、先場所では六階級中の五階級(幕内、十両、幕下、三段目、序の口)の優勝者がモンゴル・グルジア・ブルガリア出身の外国勢というのだからただごとではない。
日本の国技が花と散る姿を、焦燥感に満ちてナショナリスティックに危機と煽りたてるのは右翼ジャーナリズム。曰く、「曙の時は黒船来襲、今回は蒙古来襲だ。日本の伝統を守れ!」と。日本全体が「国際化」を図っているのだから「相撲の国際化=多国籍化」も当然のこと、相撲社会の閉鎖性をこそ打破すべきだと主張するのは、平均的リベラリスト。いやいや、日本プロ野球がメジャー・リーグの二軍に転落してしまったのも、角界が凋落してしまったのも、悪の元凶はナベツネ(渡辺恒雄・読売巨人軍オーナー兼横綱審議会委員長・当時)にある、といううがった見方も。
でもねえ、こういう評論や解釈や意味付与を言っていても始まらない。なぜ日本人力士が弱くなったか、なぜ外国人力士は強いのか、を下向分析しなければならないはずだ。文字通り「場所」に内在し場所的立場に立って現実分析をおこなうことを抜きにして、結果解釈をただただくりかえしても、変革の指針を導きだすことはできないのだ。ウフフ……
闘争心の欠如、ハングリー精神の喪失。これはあまりにも常識的な分析。つい最近まで「ゆとり社会」にどっぷり浸った日本社会と、「市場経済化」の荒波に襲われ日々を生きていくのに必死の旧ソ連圏諸国との違いは歴然としているのだから。「若者の無気力さ」「進取の気性の欠如」は何も角界に限ったことではない。「正々堂々と戦う大和魂」の伝統がなくなり、貴乃花に敗れて「痛めた右足を蹴れば良かった」と悔しがった朝青龍のような「勝利至上主義」が台頭している――こんな解釈も、技のモンゴル相撲≠ノたいする裏返しのコンプレックス丸だしのもの。
そうじゃあねえ。朝青龍の強さは、相撲の基礎・基本に徹したことにあるのだ。十六歳で日本の高校に相撲留学し、そこで摺り足や四股(しこ)などの基本を徹底的にたたきこまれた。しきたりやしごき等々の相撲社会特有の慣習にも耐えに耐えぬいた。おまけに、モンゴルでは神聖なものとされ食用してはいけない魚を食べることも、日本語を覚えることも、集中力を発揮して体得してきた。気性の荒さや根性だけでは強くなれないのだ。モンゴル相撲で鍛えた心身を角力で鍛え直し、日本文化をも摂取して初めて「青きオオカミ」が誕生したというわけ。あまりのパワーに「速い、強い、うまい」と、どこかの牛丼チェーンのキャッチフレーズを真似た賞賛が、ため息混じりに贈られている。
それに引き換え、日本独占資本家どもの不様さはどうだ。外国の技術・文化を日本的伝統と練り合わせながら摂取して新しい技術と文化を創造してきたのは、もう遠い過去の話。アメリカ式のものをメクラ滅法に猿真似してきたテメエたちの責任には頬被りし、日本で駄目ならとどんどん生産拠点を海外に移転。「産業の空洞化」の反面では、外資による日本企業の買いたたき=のっとりが横行。首切り・賃下げと、犠牲はすべて労働者におっぺす。角界の現状は、日本経済の現在を照らしている鏡ではないか。こういう意味付与的な比較解釈も時には必要だ、とね。