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<TWP特報>スクープ・テロ国家の原点 ロシアで制作された衝撃のドキュメンタリー [ウイークリー・ポストドットコム]
投稿者 あっしら 日時 2003 年 2 月 03 日 22:34:31:


1 『赤い君主 金日成の謎』

(1) ソ連がつくり上げた英雄伝説


 リポーターのムレーチン氏が語り始める。
<北朝鮮の指導者だった金日成は知っているでしょう。私は10年前の87年に彼と知りあいました。平壌での彼の誕生式典でのことです。その頃から、彼について入手可能な文献をすべて読み、彼を知る人々の話を聞いてきましたが、読むほどに聞くほどに疑問は募るばかりです。
 まず、金日成は本当の名前ではありません。別の名前があるのです。また、彼がどこで生まれたか誰も知らない。読み書きも満足にできない若者がどのように短期間で一国の元首にまで出世できたのか。50年間も指導者の座にとどまり、死後、長男に遺産としてその国を継がせることができたのか?>

 旧ソ連の退役大佐グジミン・グリゴリー氏の証言。

<「私は42年にウラジオストックに配属になった。金日成はハバロフスク歩兵学校の短期コースを修了した後、(ソ連軍の)朝鮮第一大隊の隊長として奉仕しました。彼らはアムール川やウスリー川を越えてソ連領内に入ってきたゲリラ部隊の生き残りでした。写真がよく示していることだが、金日成のゲリラ活動は目立った成果もなく、どの戦闘にも参加せず、そのまわりをうろついているだけだった」>

 画面には当時の部隊の様子が映し出され、終戦から北朝鮮建国当時の金日成氏と一緒の指導者たちの写真が続く。

<朝鮮には、日本占領に対して長年戦った軍人や地下活動家といった英雄たちがいた。今、映されている興味深い映像は、当時の朝鮮の指導者たちであり、後に次々に消えてゆき、全員いなくなってしまった>(ナレーション)

 なぜ、金日成1人が“国民の英雄”として残ることができたのか。番組はその謎に迫っていく。
 金日成氏は旧ソ連軍に従軍していた時には「金成柱」という名前だったが、終戦で平壌に入ると同時に、日本統治下で抗日パルチザン活動を展開した北朝鮮の伝説的英雄である「金日成」を名乗り、伝説に自らの経歴を重ねた。それこそ神格化工作の原点といえるものだった。

 平壌を“解放”したソ連軍が北朝鮮国民の歓声の中で引きあげていく映像――。

 前出のグジミン退役大佐が語り始める。

<「金日成が平壌に着くと、ソ連第25軍のイワン・ミハイルビッチ・チスチャコーフ司令官に呼ばれ、『金、将来の政府の指導者になってほしい』と提案された。彼は何を恐れていたのか、1〜2日後に断わった。その時、司令官は拳銃を抜き、彼に『指導者となれ』と脅した。そしてあらゆる証明書を作りあげて彼の功績を飾った。彼を指導者にしろというのはスターリンの命令だった」>――。

 番組はその後も、ソ連の元外務次官、共産党の政治局部長など当時を知る人々の証言から、金日成の“英雄伝説”はソ連軍が作りあげた虚像であることを浮かびあがらせていく。

1 『赤い君主 金日成の謎』

(2)「核開発をねだった金日成」


 見落とせないのは、旧ソ連による武器支援や核開発につながるくだりである。
 画面には北朝鮮軍のミサイル部隊のパレード。平壌のソ連大使館顧問だったキセリョーフ氏が証言する。

<「私たちは単に武器を提供しただけでなく、その生産設備も供給しました。スカッドミサイルも渡した。彼らはそれを改造し、射程600キロのノドンや射程1000キロのノドン2号を作り、射程距離を少しずつ伸ばしている。しかし、面白いことに、北朝鮮の友人たちは発射することをひどく恐れていた。システムを改良したにもかかわらず、電子機器の不良のため、どこに飛んでいくかわからない。知っているのは悪魔だけです」>

 84年5月、金日成氏は23年ぶりにソ連を訪問した。
 カピーツァ元ソ連外務次官は、その際、クレムリンで核開発への協力を申し込まれたことを暴露する。

<「彼は巧みに話を原子力発電所のことに持っていった。実のところ、原発は非常に高い買い物で、10億ドルはかかる。彼はソ連が北朝鮮に建設するように迫った。ソ連の指導者たちは拒否したが、彼は原発の必要性については認めさせた。そのかわりに、ソ連は戦闘機、戦車、大砲を今まで以上に援助することになった」>
 旧ソ連の崩壊後(91年)、北朝鮮は混乱のロシアから技術者を招き、独自に核開発を進めた。その指揮をとったのが後継者の地位を固めつつあった金正日氏だった。

2『赤い皇太子 玉座の後継者』

(1) 金正日に潜む架空の経歴


 『赤い皇太子』の番組冒頭、リポーターのムレーチン氏は何が起きたかを視聴者にこう伝えた。
<前回の番組後、北朝鮮大使館から脅迫を受けました。私たちが大胆にも北で何が起きているかを報じたためです。この脅迫は北朝鮮の犯罪的性質の活動を証明しています。だからこそ、現代の“偉大な指導者”金正日について放映する必要があります>
 画面には、父と母(金正淑)の真ん中に2〜3歳の金正日氏が立つ古い写真が大映しにされる。ハバロフスクの村。
 そして、番組は前編での父・金日成氏同様、金正日氏の“英雄伝説”を容赦なく剥ぎ取っていく。
<ユーラと呼ばれていた金正日は42年2月15日から16日の深夜にかけて、シベリアの小さな村で生まれた。ハバロフスクからそう遠くなく、父親が大尉として従軍していた赤軍第88旅団が駐屯していた村です。
 朝鮮の人々は、学校で、『金正日はゲリラ部隊で生まれ、子供の頃から革命精神を学んだ』と教えられます。10年前には(ゲリラ戦聖地として名高い)ペクト山の上には金正日の生家を象徴する記念碑まで建てられました。80年代後半、朝鮮の若者が党の指示でゲリラの栄光の地を探し回り、200か所もの部隊の宿営地を見つけたとされています。それは架空のものでした>
 番組では幼年時代の不幸な出来事が彼の性格に暗い影をもたらしたと、一つのエピソードを紹介する。
 金正日氏には「シューラ」と呼ばれる実弟がいた。シベリア時代に母を失い、続いて弟も死ぬ。家の隣にあったプールで兄弟が遊んでいた時、シューラは溺死してしまうのである。父の金日成氏はその後再婚したが、正日氏と継母、義弟たちとの関係は冷ややかなものだった。
ここで金正日氏の幼年時代を知る重要な証言者が登場する。金日成氏の通訳を務めた元北朝鮮外相のバレンチン・パク氏が語り始める。
<「若者は気まぐれで、わがままだった。彼は継母が大嫌いで、ある時、車で彼女が隣に座ろうとした時、蹴飛ばして、『出て行け』と叫んだこともある」>
 金正日氏は金日成総合大学の学生になった頃、自分を「ユーラ」と呼ぶのをやめた。
(2) わがままなユーラ(=金正日)


 20歳代の正日氏が写真の展示を見たり、金父子が電車の車輛を視察する映像に続くナレーション。
<彼は父親の愛情を得ることに成功した。腹違いの弟を含むライバルを全て整理していった。義弟は軍の職を奪われ、ハンガリー大使として事実上国外追放となった>
 本誌がスクープした平壌の金正日氏の別邸の衛星写真(02年12月20日号)では、推定10万坪の敷地に、プールや遊園地、ゴルフ場、射撃場に加えて、乗馬好きの金氏専用の馬場まで整備されていることを明らかにした。
 前出のバレンチン・パク元外相の体験談が続く。
<「彼は初めに車、次にバイクに興味を持った。特にハーレー・ダビッドソンだ。彼は私に『買ってくれ』とせがんだ。『バイクを買えるようにお金をくれと(父に)頼んでくれ』という。私が『いくら必要なんだ』と尋ねると、『知らない。あなたが買って、持って来てくれ』と。金日成の息子が頼むのだから、私はカネをもらいに行った」>
 パク氏は親指と人指し指を7センチほど広げて、
「ほら、当時でこれくらいのウォンが必要だった。そしてバイクを買った」
“偉大な指導者”ユーラ・キムは幼少の頃から甘やかされて育ったことを物語る。


3 現実の北朝鮮の実情

(1) 零下20度、ゴムスリッパで作業



<北朝鮮の経済状態は常に絶望的である。まだましと思われていた時代から、食糧が不足していた>(ナレーション)
 番組の後半では、『飢える国』との字幕に続いて、金正日体制下での北朝鮮の現状が、隠し撮りされた映像などによって明らかにされる。
 画面には、草1本、生えていない荒れた農地が映し出され、さらに建設途中の建物や道路の工事が中断し、機械も放り出された市街地の映像にかわる。
 平壌の旧ソ連大使館顧問で金日成総合大学の顧問も歴任したキセリョフ氏が語る。
<「一般の労働者の給料は月に1ドル。配給もあるが、洋服やスーツは数年に1回、作業着や作業靴ももらえる。だが、靴といってもゴム製のスリッパなのだ。想像してほしい。北朝鮮の冬は零下15度から20度に達するのに、子供から大人までスリッパで過ごす。子供たちはいつも肺炎の危険にさらされている」>
 北朝鮮はロシアに食糧援助を要請していた。
<この冬は平壌のロシア大使館ですら電気も水もなかった。最初は収穫がほとんどない状態だった。その後、自然災害で国中が危機的状況に追い込まれた。今や大部分の町や村が飢餓状態にある。子供たちは弱りすぎて学校に行けない>(ナレーション)
 突然、<「みなさんが見ている映像は秘密裡に撮影された北朝鮮の現状です」>というクレジット。そこには、荒れ果てた畑、壊れた農家、さらに、ある家の内部にカメラが入る。家財道具はほとんどなく、ガランとしている。

2) 衝撃的な3つのシーン


 続いて3つのシーン。
 何かの葉っぱを刻み、プラスチックの洗面器に入れて塩をふる。それをナベに入れて炊く。
 女性が雑草を取って袋に入れる。
 河原の光景――。
 赤ん坊を抱き締めた空ろな表情の母親が映り、次のシーンではその母親が突然、かがみ込んで嘔吐し始める。
 ナレーション。
<北朝鮮の人々は雑草や食用にならないキノコまで食べようとしている。平壌のラジオ局はそれらをどうやって食べることができるかを放送している>
 その映像を見た在日組織の幹部が、隠された意味をこう語ってくれた。
「祖国では、庶民の主食はほんの少しの雑穀を入れた薄いおかゆです。それだけでは空腹に耐えかねて、雑草を刻んで入れる。ところが、牛馬ならともかく、人間には消化できずに、全部もどしてしまう。それがわかっていても、食べることができない雑草を探している」
 鬼気迫る光景である。
 残念ながら、紹介できるのは番組のごく一部でしかない。リポーターのムレーチン氏は、最後に、
<平壌が自らの要求を通すために西側諸国を戦争によって脅迫するのは常套手段だ>――と現在の状況を的確に見抜いた忠告をしている。
 北朝鮮情勢に詳しいジャーナリスト・惠谷治氏。
「金父子と直接会ったことのある人物たちの証言で構成されており、内容は高く評価できます。金正日がわがままで継母を嫌っていたという金日成の通訳の話は具体的で説得力があるし、ソ連外務次官だったカピーツァ氏は、金日成が23年間もソ連を訪問しなかった背景に、旧ソ連指導部が、権力を世襲させようとした金日成に好意をもたなかったからだと歴史的証言をしている。97年当時、平壌のロシア大使館でさえ電気も水もなかったとは驚きました。金日成がソ連の第88旅団にいた頃と思われる貴重な映像もこれまでにまったく知られていないものです」
 核開発、生物・化学兵器保有など、北朝鮮の軍事的脅威もさりながら、何より恐懼すべきは、金父子による権力世襲と絶対化によって、国と国民が暗闇に閉じ込められていることだ。まずその実態に光をあてることが先決だ。その意味で、このドキュメンタリーは特筆すべき意義を持つ。

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