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■2003/03/18 (火) わが知人が「人間の盾」でイラク入りしてるって
今朝東京新聞社会部Oさんという記者からFAXが入って、
「イラクにはいっていると見られるHさんのことをしりたいのですがお話うかがえませんか}という。
そこで彼が「人間の盾」となってイラクにいるのを初めて知った。
彼とは数年前、コンビで海外在住日本人にも投票権を認めろと日本政府を相手取って戦った仲間である。
とにかく、よく頑張る人で,一目おいていた。
ドイツに拠点をおき,日本人向けの週刊新聞を発行している編集主幹人物。
会ったことはないが電話では一時、ひっきりなしに連絡を取り合ってた。
少し左っぽいなとは感じたけれど、戦う目的は共通だったから、当時は、かなり意気投合したものでした。
さっそく編集部に電話をいれたら係りの女性が
「そうなんですよ。彼,バグダットのパレスチナホテルに宿泊していて、早く帰ってくるように、ちょうど今もFAXをいれた所なんですよ」
「でも、彼,自分の意思でいったんでしょ?」
「それはそうですけど」
「だったら,別にそんな忠告しなくていいんじゃないの。やるなら徹底的にやればいい。そこまで覚悟したのだもの、最後まで貫徹すべき。途中で尻尾巻いて帰ってきちゃだめよ」
答えはなかったから、もしかして電話の向こうではびっくりしてたのかもね。
その後、東京新聞にも電話して、同じことを伝えたら、こちらもちょっとばかり意表をつかれたような話ぶりでありました。
ついでに係員の女性から貰った彼の連絡先の電話とFAX番号を教えて上げましたけどね。
彼は、自分が「人間の盾」となってイラクにいく際,数社のマスコミ関係者に通知していったらしい。
その辺が私にはどうも理解できない。
少なくとも,私が「人間の盾」になるのなら、黙っていくのではないかなあ。
私もよく紛争地へ出掛けたけど、そういう発想っていうのはなかったもの。
ジャーナリスチックな気持ちから、何でも見てやろうとは思ったけど。
まあね。一人ひとり、いろいろ違った思いがあるし、目的も異なる。
今回もそうで、これはきっと彼自身のポリシーといっていいのかもしれない、
そう思いました。
★ 「人間の楯」になるのは、自責の念に駆られた人が犠牲者になると思われる人と一緒に死ぬことが目的ではなく、命を賭けてでもなんとか戦争を食い止めたいという目的なのだから、『私が「人間の盾」になるのなら、黙っていくのではないかなあ』という表現は、好意的に評価すれば判断力の欠如であり、悪意で評価すれば彼の人間性に疑義を提示したということになる。