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崩壊する支那 [行政調査新聞]
http://www.asyura.com/2003/bd24/msg/1096.html
投稿者 非導潜使_伊-HEXA号 日時 2003 年 3 月 17 日 23:32:12:

13億もの人達を束ねるのは容易ではない。
・・・う〜む、愛だろ?愛!そういや政治に愛を取り入れた政体はなかったな・・・

http://www.gyouseinews.com/foreign_prospect/feb2003/002.html

崩壊する支那

 2月25日午後、支那の首都北京にある名門校、北京大学と清華大学の食堂で相次いで爆発事件が起きた。爆発は手製のダイナマイトで、27日現在、負傷者は9名と発表されている。ただしロイター電が伝えるところによると、「負傷者数はそれ以上に上り、中には重傷者もいるとの噂が大学構内では流れている」とのことだ。

 世界各地に頻発しているテロと比べて被害が小さなことから、あまり注目されていないが、支那政府の中枢を担うエリート校が狙われた意味は大きい。3月に開催される予定の全人代にも影響を与えかねないこの爆発テロは、支那そのものの不安を如実に表しているのだ。

 北朝鮮という国家がやがて崩壊溶融する可能性が非常に高いことは誰しも納得するところだろう。だが案外理解されていないが、隣国である超巨大国家・中華人民共和国もまた崩壊への道を突き進んでいる。それは支那そのものが滅亡するという意味ではない。中国共産党による一党独裁支配である現体制が変化するということだ。

 米国の動きを制御し、世界をコントロールするほどの巨大国家。その巨大国家・支那の体制が変わる。それも早ければ1〜2年のうちに!

 当然ながらそれは、東アジアに大混乱を引き起こすだろう。

 ここで近代中国の歴史を歴史教科書的にザッと眺め、その後に現在の支那北京政府がどのような状況に置かれているのか、考察してみることにしよう。


革命の時代

〔辛亥革命と国共合作〕
 
 支那大陸では19世紀末から20世紀にかけて革命が連続した。
 
 革命という言葉は元来、中国の古典のなかにある「易姓革命」から生まれた言葉である。易姓革命とは、出自・血統の異なる新たな皇帝が登場することで、「天の命を改める」、すなわち「王朝交代」という意味である。明治になって日本人が英語のレボリューション(Revolution)を「革命」と訳し、それが中国大陸に逆輸入される形で「革命」という言葉が使われるようになった。

 17世紀初頭(1616年=元和2年=徳川家康が死んだ年)に漢民族の王朝だった明が滅ぼされて満州人(女真族)の国家・後金が生まれ、1636年(寛永13年)に北京を首都とする清となった。清誕生直後から人口の95%を占める漢民族による「打倒・清王朝」の動きは潜在的に存在していた。この動きが「滅満興漢」(満族を滅ぼして漢を興す)運動となり、1894年(明治27年)に起きた日清戦争後の「興中会」結成につながる。

 興中会の中心人物だった孫文(そんぶん/スンウェン)は、翌1895年(明治28年)に広州で蜂起したが失敗し、日本に亡命する。またその3年後に「清王朝体制変革」を求めて蜂起した康有為(こうゆうい/カンユーウェイ)も失敗して日本に亡命する。康有為は「立憲君主制」により清王朝の体制を変革しようと画策するが、孫文は共和制国家の樹立を主張して「革命」を求める。ちなみに孫文の革命を支援したのが宮崎滔天であり、頭山満であった。頭山は革命資金として当時のカネで15万円を孫文に手渡している。この15万円は頭山が街の金融業者から借りたカネで、当時、高利貸しが要求した「担保」として、頭山が自分の中指を切り落としたのは有名な実話だ。

 孫文は1905年(明治38年=日露戦争後の講和条約締結の年)に、清王朝打倒・共和制国家を目指して「中国革命同盟会」を樹立するが、「革命」の文字を入れると秘密活動には具合が悪いと判断した孫文はこの文字を削り、「中国同盟会」とした。このとき「中国同盟会」は有名な「三民主義」を採択している。ちなみに三民とは、「民族」(満州族支配を打倒し漢民族国家を樹立)、「民権」(共和制国家の樹立)、「民生」(地権の平均化)のこと。

 1911年(明治44年)、辛亥革命が起き清王朝を打倒するが、指導権を袁世凱に奪われた孫文は第一、第二、第三革命を起こす。しかしことごとく失敗。1914年(大正3年)に中華革命党を結成し、これが1919年(大正8年)に誕生した「中国国民党」の母体となった。その2年後には中国共産党が生まれたが、ソ連との連携を重視した国民党は国共合作(国民党と共産党の共闘)を図り、対外従属の軍閥を武力で倒すことを目的として1924年(大正13年)に第一次国共合作が成立する。

〔第二次国共合作〕
 
 翌1925年(大正14年)、孫文が死去して国民党の実権は蒋介石(しょうかいせき/チャンチエシー)に移る。そして1927年(昭和2年)、共産党軍が上海に入ったところで蒋介石がクーデターを起こし(上海クーデター)、第一次国共合作が終焉する。共産党軍の主力だった毛沢東、朱徳らは辺境の地にたて籠もって「農村革命根拠地」を作り、蒋介石・国民党軍と武力対峙するようになった。
 こうした時代に満州事変が勃発(昭和6年/1931年)する。北方からの日本軍の圧力で弱体化した共産党軍に対し、国民党・蒋介石は包囲攻撃を行い、ついに共産党軍は根拠地から脱出する。これが「長征」の開始である。

 1936年(昭和11年)には東北軍の張学良らが蒋介石を軟禁するという事件(西安事件)が起き、国民党と共産党軍の内戦停止が図られたこともあった。そして1937年(昭和12年)、蘆溝橋事件が勃発、日支事変へと発展する。ここで「反日」の旗の下に国共合作が再び誕生(第二次国共合作)し、国民党軍と共産党軍は一致して抗日戦へと向かうことになる。

 蒋介石の国民党政府は、日本軍が大陸の奥深くまで攻め込んでくる事態を想定して首都を奥地の重慶に起いたが、毛沢東・朱徳の軍隊(共産党軍=国民革命第八路軍=通称「八路軍」)は農民を主体として積極的に抗日戦の前線に立った。また国民党政府は統制経済を実施して物資の流通を制限したため、それぞれの地方では自給のための大生産運動が展開され、武器弾薬も各地方が独自に生産する体制が作られていった。

〔中華人民共和国の誕生〕
 
 昭和20年(1945年)8月。日本がポツダム宣言を受諾するとの情報を得ると、直ちに蒋介石と毛沢東は戦後の国家運営について話し合いを始める。9月には重慶で国共会談が開かれいちおうの合致を見たが、それは僅か8カ月しか続かなかった。1946年(昭和21年)6月には国民党軍と共産党八路軍はまたまた武装対決。支那全土が内戦状態に陥った。八路軍は「人民解放軍」と名称を変更したが、当初の戦いでは敗北を重ねて辺境に一旦退却。そして翌1947年(昭和22年)12月に一気に反攻に転じた。

 人民解放軍は確保した土地の改革(農地均分)を実施した結果、農民の絶大な支持を得る。またこの農地均分こそ、かつて孫文が唱えたが実現できなかった「三民」の最後の「民生」であった。1948年(昭和23年)には、旧満州一帯で国民党軍と人民解放軍の最大の戦いがあり、これに勝利した人民解放軍は1949年(昭和24年)、揚子江(長江)を渡って上海に入り、ここを解放する。

 上海解放とはすなわち、支那の金融と工業生産の中枢を手に入れたということである。毛沢東は同年6月に中華人民共和国発足の準備会を開き、紆余曲折の後、10月1日、北京の天安門で「中華人民共和国の成立」の宣言を行った。


「解放」の真実

 孫文が唱えた「民生」の思想を現実のものにした「農地均分」。中国共産党はそれをやってのけた。地主から土地を取り上げ、農民に「均分」する……。それは農民から絶大な支持を得る政策でもあった。

 地主を追放した中国共産党は、農民一人に対し一律200坪の農地を与えた。素晴らしい国家事業だったと言えるだろう。だが……。

 一人一人の農家が個別に農業を行うという非能率的作業、欠点が直ちに指摘され、農家は「合作者」という形を取らされる。そして中華人民共和国誕生十年を待たずに、1958年(昭和32年)には人民公社化される。これは何を意味するのか。

 地主を追放し、結果として人民公社=共産党が地主の代わりになっただけの話なのだ。さらに、追放された地主はどうなったのか……。大雑把に言えば、10%の地主は民衆たちに殺害されたのである。そして15%は共産党が死刑と処し、25%は労働改造と処され、残りの60%は行動監視対象とされた。

 共産党の「解放」運動のために地主を殺し、あるいは結果として「地主死刑」に加担した一般農民たち。その農民たちは、地主の代わりとなった共産党(人民公社)の奴隷となっただけなのである。しかも地主のなかには、小作人の家庭の事情を理解し温情をかけた者もいただろう。だが、共産党は決められた数字を達成できない農民に容赦はしなかった。


 結果として現在、支那大陸の農民は共産党を恨み、地主を葬ってしまった自分たち自身を恨んでいる。

 同じことが商業の現場、あるいは工場でも起きた。
 
 建国以来1955年(昭和30年)まで、資本家撲滅のために工場や事業所は「労働者管理委員会」の管理下に入った。それ以降、工場等の経営権は共産党の掌中に落ちた。……労働者は共産党の甘言に乗って資本家追放を行い、彼らを殺し、死刑になるように働きかけ、そして資本家たちを労働改造や行動監視という最低限の地位に落としたのだ。その結果として、労働者は共産党の下で奴隷のように働くしかなくなってしまった。

 資本家の代わりに共産党が現れただけなのだ。
 
 地主と資本家を抹殺して、その権利を共産党が奪っただけなのである。

 さらに恐ろしいことが起きた。
 
 1957年(昭和32年)、中国共産党は知識人に呼びかけ、共産党に対する「建設的提言」を求めた。その求めに応じ、多くの知識人たちが共産党に対する提言、悪口を公にしたのだが、結果はどうなったか……。

 なんと520万人の知識人が逮捕され、そのうちの120万人が死刑。残りは労働改造、行動監視の対象となったのである。

 このとき、1957年から、まさしく支那における共産党独裁(プロレタリア独裁)が始まったと言って良いだろう。

 このとき以来、共産党は3つの生活権の分配権利を手にした。
 
 すなわち、食糧分配の権利、土地建物配分の権利、仕事の分配権である。
 
 これは何を意味すののか……。支那では、共産党に見捨てられたら絶対に生きていけないという事実である。

 同時に共産党は、敵の誕生や成長を恐れ、密告制度を採り入れる。
 
 「あいつは共産党の悪口を言ってましたよ」と告げ口すれば、より良い仕事を手にできたし、食糧も住宅も良くなった。

 5000年の歴史のなかに培われた支那民族が持つ美風良俗は、もろくも崩れさって行った。……今、われわれが知っている支那の民は、長大な歴史の上に立つ優れた支那民族ではない。疑心暗鬼、嘘と裏切りで固められた支那とは無縁の民なのだ。


騙し続ける中国共産党

 中国共産党の革命第一世代たちは、まさに真の解放を求めたと考えられる。
 
 圧政に疲弊した民を救うために、彼らは立ち上がり戦った。それは紛れのない真実だと考えられる。だが、その後はどうだったのか……。

 地主から土地を奪って農民大衆に均分し、やがてそれを共産党が支配する。資本家を追放して共産党が経営権を奪う。

 人民を騙し、人民から富を吸い上げることによって共産党は生き延びてきた。わかりやすく言えば、中国共産党は「合法的泥棒稼業」を続けてきたのだ。泥棒も、個人や団体が行えば泥棒だが、国家が行えば解放であり事業であり、合法なのだ。

 13億の民(実際には14億人以上がいると想像される)を、わずか6000万人の共産党が支配してきた。

 だが、支那人民を騙して人民から搾取を続けてきた中国共産党も、もはや人民からは何も得られないところに辿り着いてしまった。それが現在の状況である。

 こうした状況の下に、昨秋、第16回中国共産党党大会が開催された。
 
 結果についてわが国マスメディアはこう伝える。
 
 「総書記は胡錦涛。江沢民は院政を敷く」。
 
 当時の新聞記事等をちょっとご覧いただこう。

 「〔中国新体制、江氏の全面引退はなし 新総書記に五九歳胡錦涛国家副主席〕中国共産党は一五日午前、北京の人民大会堂で第一六期中央委員会第一回総会(一中総会)を開き、江沢民国家主席(七六)に代わる新総書記に胡錦涛国家副主席(五九)を選出。政治局常務委員には呉邦国副首相(六一)、温家宝副首相(六〇)らが昇格し、『第四世代』指導部が発足した。常務委は従来の七人から九人に拡大されるとともに、大幅に若返った。ただ、中央軍事委主席には江氏が再選され、全面引退には至らなかった。

 総会閉幕後に記者会見を行った胡氏は『中国のあすはもっと明るい。中国の発展は必ず世界の平和に貢献する』と述べたものの、新政治局常務委員の紹介だけで質問は受け付けず、会見はたった一五分で終了。「指導部の全面公開」は掛け声倒れに終わった。」(『夕刊フジ』平成14年11月15日)

 「〔江沢民氏、政治局人事で主導権、現政権に影響力〕【北京=石川正浩】胡錦濤総書記を中核とする中国共産党の革命第四世代の政権が十五日、始動した。党史上初の円滑な政権交代となったが、新指導部の選出過程では第三世代の江沢民国家主席が主導権を握り、自らも軍の最高指導機関である軍事委員会主席にとどまって影響力を保った。当面は江主席の意向が反映されやすい体制になる見通しだ。

 人民大会堂でこの日開いた新指導部のお披露目の記者会見で、指導者の横顔を紹介する小冊子『第一六期中央指導機構メンバー略歴』が配られた。その最初のページを飾ったのは江主席。胡総書記ではなかった。国営の新華社も同日、江主席の軍事委主席の再選と胡総書記の同委副主席再選を伝えた。いずれも江主席が最高実力者であることを強く暗示する。

 中国では『銃口から政権が生まれる』といわれ、軍事委主席は軍を統帥するだけでなく政治にも一定の発言力を持つ。第二世代の中核であるトウ小平氏も一九八七年に常務委員を退いた後に軍事委主席にとどまり、最高実力者の地位を保った。」(『日本経済新聞』11月15日)

 その他の大新聞、TV等の情報を総合すると、こうなる。
 
・九人の政治局常務委員のなかに5〜6人の江沢民腹心が入っている。
・江沢民は総書記は退いたが、トウ小平同様、軍事首席となり、院政を敷いた。
・江沢民が提唱した「三つの代表論」が党の規約に盛り込まれたことからも、江沢民の勢力は今後も絶大なものだろう。

 以上については、マスメディアのすべて、多くの評論家氏が認めるものである。
 
 だが、これこそが真っ赤な嘘であり、合法的泥棒である中国共産党のトリックなのだ。そのトリックにまんまと嵌まったマスメディアの責任は大きい。

 上記についてよく検討する必要がある。
 
 政治局常務委員のなかに胡錦涛の腹心と言えるのは、價慶林、曽慶紅、黄菊の3人だけ。

 江沢民は非常に無理をして軍事首席になったが、これはいわば外国を惑わすトリック人事と考えられる。「胡錦涛新体制のバックには江沢民が院政を敷いている。支那の体制には変化はない」と思わせ、外国……とくに米国と日本からカネを騙し取ろうというものなのだ。3月に入ると「全国人民代表会議(全人代)」が開催されるが、ここでそのトリックが見られるだろう。恐らく間違いなく、江沢民は軍事首席に選ばれる。だが同時に、朱鎔基・李鵬・李瑞環の三長老は元老となるはずだ。このことは何を意味するか……。軍事首席となった江沢民は、いつでも失脚する可能性を秘めているということだ。

 人民を騙して搾取を続けてきた中国共産党だが、人民からは何も得られないところに辿り着き、今度は外国(日本など)を騙してカネを奪おうとする、それが今回の人事のポイントだった。


共産党の一人勝ち

 江沢民の「三つの代表理論」が今回の第16期中央委員会で「党理論」のなかに採り入れられた。
 「三つの代表理論」とは、中国共産党が「1・先進的生産力 2・先進的文化3・広範な人民の利益」を代表するという理論である。これを採用したことは、「階級闘争理論を大衆理論に転化させた」とか「マルクス主義とは違った方向に歩み始めた」と分析する者もいるだろうが、それは違う。現在の支那において、共産党と対立し政策論争を行う政党や団体が存在しないだけなのだ。
 さらに、「三つの代表理論」がマルクス・レーニン主義→毛沢東思想→トウ小平理論の継承発展だと明記され、「やはり江沢民は院政を敷くだけの実力者」と見る向きもあるだろうが、この報告書を良く読んでみると、「江沢民」の名は入っていないのだ。本人がいかに頑張ってみても、毛沢東やトウ小平と同格にはなれなかったのである。

 また、「三つの代表理論」により「資本家も共産党に入党できる」ことになったが、これを言葉通りに見ては無意味だ。先に述べた通り、中華人民共和国誕生後、地主と資本家は完全に葬られて姿を消してしまったのだから。「億万元長者」などと呼ばれる大金持ちになった人々はもともと資本家だったのではない。共産党員またはその家族、親族たちであり、その力を頼って大儲けをしただけなのだ。

 現在の支那の個人資産は日本円にして5兆円とされる。そして、そのうち4兆円は一握りの権力保持者(背景に共産党)が所有しているに過ぎない。

 支那の経済成長率は7%と発表されている。しかしこれも数字のトリックであり、現実には2%以下と見る学者がほとんどである。『人民日報』の報道を丸飲みし、それを翻訳して情報とする大新聞、TVの報道に誤魔化されてはならない。

 いま支那北京政府は、外国からの投資を待っているのだ。集まってくる投資金を返却する気など、まったく無い。

 かつてキッシンジャーはソ連崩壊を予言した。彼は、「人民の不満」「党内部の分裂」の二つが起きればソ連は崩壊すると予言したのだ。

 そして、同じ状況がいま支那北京政府を襲っている。
 
 東北三省……旧満州一帯ではとくに不満は強く、年間に100万単位のストライキが勃発している現状だ。労働者、農民、知識階級には根強い共産党不信感があり、反感がある。法輪功の問題もある。

 そのうえ共産党指導者、トップは分裂と不和を繰り返し、腐敗汚職塗れなのだ。江沢民派の政治局常務委員である價慶林、黄菊には密輸事件疑惑まで存在する(この2人が逮捕でもされたら、江沢民は最後の綱を切られることになる)。

 支那を支配してきた共産党が崩壊する。恐らく1〜2年のうちに一党独裁の座から滑り落ちる。
 東アジアを襲うこの大激震は、台湾どころか北朝鮮や韓国、日本を直撃するだろう。その前には、支那からの流民が東アジア全域に流れ出すはずだ。

 わが国はこの潮流に対し、どのような手だてを採るつもりなのだろうか

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