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(回答先: 【ビデオ映像証明】ブレジンスキー(依然闇権力の重鎮)70年代後半アフガンにヘリで神のごとく降り立ちアフガン人をおだて上げ、反ソ捨て駒作るの図。 投稿者 りんご&ハチミツ 日時 2003 年 3 月 15 日 02:13:24)
ブレジンスキーについてはいくつかの(些末だが無視できない)謎がある。
【1】Brzezinskiという名前だから「ブルゼジンスキー」とか
せめて「ブレッジンスキー」(この、小さい「ッ」が入るのが大事)
と書くべきなのに、なぜ「ブレジンスキー」と表記しているのか?
(答えはたぶん「活字スペースがもったいない」という
ケチな理由だよ。)
【2】ブレジンスキーの初期の著作である「テクネトロニック時代」云々
には数種類あるのに、太田竜などは英語の文物を崇拝して
自分できちんと思考しようとしないから、この曖昧さを
放置したまま「テクネトロニック」云々と語ってきた。
太田竜なんかがいってるのは、どの本を指すのか?
【3】最初期の「テクネトロニック」本は、日本では読売新聞社
から邦訳が出ているのだが、その当時はまだブレジンスキー
なんぞほとんど無名の学者だった。(名前を売ったのはカーター
政権の首席補佐官になってからだから。)
そういう馬の骨の本を、70年代初期に読売新聞社が出して
いた背景には何があったのか?
【4】もうひとつの「テクネトロニック」本は、実は原書そのものが
上智大学から出されている。上智といえばイエズス会の対日工作本部
みたいな戦略性も有してきた。こういう大学がブレジンスキー
の本を原著として出版したのは、どういう背景があったのか?