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[2003-03-04]
黒沢明監督の映画『羅生門』は、世界の映画史上に残る傑作である。1950年に公開されたとき、殺人事件の真相が最後までわからない「不条理劇」のようなストーリーは、国内では「難解だ」と不評だったが、翌年ベネチア映画祭に出品されてグランプリを取り、日本映画が世界に評価されるきっかけとなった。
私も学生時代に初めて見たとき、時代劇とは思えない前衛的な脚本に驚いた記憶がある。事実、フランスの前衛作家アラン・ロブ=グリエは、これに影響を受けて映画『去年マリエンバードで』の脚本を書いた。
この『羅生門』は今、だれでも自由にコピーできる。現在の著作権法では、映画の著作権は公開後50年で切れるので、溝口健二の『西鶴一代女』(1952)や小津安二郎の『お茶漬けの味』(1952)などもパブリック・ドメイン(複製自由)である。 WinMXなどのP2P(Peer-To-Peer)ソフトウェアでは、こういう映画のビデオのコピーが流通しているし、海外では「海賊版」も含めて黒沢のほぼ全作品がビデオ化され、インターネットで入手できる。
池田 信夫
経済産業研究所上席研究員
ところが文化庁は、こういう映画のコピーを禁止する著作権法の改正を進めている。現在の「公開後50年」という規定を「公開後70年」にするというのだ。この改正は、だれのために行なうのだろうか。それは明らかに消費者のためにはならないが、著作者のためになるだろうか。文化庁によれば、「欧米ではすでに保護期間が70年以上になっているので、映画やテレビゲームの競争力を保つ上で延長は必要だ」とのことだが、保護期間が20年延長されたら、作家の創作意欲は高まるだろうか。
残念ながら、黒沢も溝口も小津もこの世にないから、彼らの創作意欲がこれによって高まることはありえない。では、今後はどうだろうか。50年後に生きている作家は少ないし、映画会社やゲーム会社は存在するかどうかも疑わしい。延長の効果は、せいぜい権利を相続した孫の小遣いが増えるぐらいだろうが、文化庁はこれが競争力を高めると本気で信じているのだろうか。
要するに、この延長の効果は、映画会社の独占状態を維持することしかないのである。事実、彼らはドル箱である黄金期の映画の権利が切れるのを前に、激しい陳情を繰り返してきた。しかし自由に競争すれば、映画はテープ代だけの低価格で売れるはずだから、彼らの独占を法的に守ることは消費者に損害を与えるばかりでなく、映像コンテンツの流通を妨げ、日本の映像産業の競争力を低下させる。
同様の問題は、米国でも裁判で争われた。スタンフォード大学のローレンス・レッシグ教授は、著作権の保護期間を75年から95年に延長する著作権法の改正に反対する裁判の弁護人となり、これにはノーベル賞受賞者5人を含む経済学者17人が支援を表明した。この裁判は今年1月、連邦最高裁で原告側が敗訴したが、著作権の過剰保護を見直す流れは強まっている。
台湾も昨年、著作権保護を50年から70年に延長せよという米国の要請を拒否した。中国で売られているCDやビデオの90%以上は海賊版だが、アジアでブロードバンドが急速に成長している一つの要因として、このように著作権の保護が弱いことがあげられている。著作権法は利用者の権利を制限する法律であり、保護が強ければ強いほどよいというものではないのである。
現在の著作権法では、監督や脚本家ばかりでなく出演者やスタッフにも「隣接権」が認められているため、過去の作品を使って映像作品を作ったり、インターネットで配信したりするには、1本あたり数十人の権利者と交渉して契約を結ばなければならない。実際には、こうして得られる著作権料はわずかなものであり、それを要求する権利者も限られているのだが、法律が一律に再利用を禁止しているため、こうした法務費用がブロードバンドの最大の障害になっているのである。
芸術は、ひとりの作家によってできるものではない。まだ食うにも困っていた1950年ごろの日本で、ハリウッドよりもはるかに完成度の高い映画ができたのは、数百年に及ぶ舞台芸術の蓄積があったからである。現在のお粗末なテレビドラマしか見ていない若者には、お粗末な作品しか作れない。彼らが黒沢や溝口などの作品を見て、その斬新な発想や洗練された演出に学ぶことこそ、映像産業の競争力を高める道である。
『羅生門』を初めとする日本映画の名作は、映画会社の私物ではなく、日本国民の共有する文化財である。文化庁が行なうべきなのは、映画業界の既得権益を守ることではなく、過去の作品の権利保護を最小限度に限定し、この文化財の共有を促進することである。日本政府は、国際協調と対米追従を取り違える傾向が強いが、現在の米国主導の知的財産権強化は、明らかに行き過ぎである。むしろ日本はアジアを代表して、利用者の権利にも配慮した著作権制度の是正を世界に訴えるべきである。