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『経済の独裁 − ネオリベラリズム批判 −』(ヴィヴィアンヌ・フォレステル著・金塚貞文訳・光芒社・2,200円)
先の日曜日に本屋を覗いたとき偶然見つけた。(平積みにされていたのでそれなりに売れると見込まれていると思われる)
フランス人女性によるグローバリズムと現在の経済及び政治状況に対する反撃の書である。
著者ヴィヴィアンヌ・フォレステルさんは、銀行家の娘として1925年に生まれ、文芸評論家として名を知られていたという。(今年で78歳になるのかな。写真を見た感じ、ユダヤ系かアラブ系の血が入っていると思われる)
そのような本の存在自体を知らなかったのだが、同じ光芒社から翻訳出版された前作の『経済の恐怖』は、世界で60万部のベストセラーになったとのこと。
紹介する『経済の独裁 − ネオリベラリズム批判 −』は、フランスで発売後すぐに80万部を超える売れ行きを示したと書かれている。
『経済の独裁 − ネオリベラリズム批判 −』は、内容から推察するに2000年までに書かれたもののようだが、米国「ITバブル崩壊」や9・11以降の世界を眺める前に書かれたものであることで、彼女の洞察力の高さをより窺い知ることができるとも言える。
フランスのそれも文芸評論家を生業としてきた人の文章なので抽象的なレトリックも多用されているが、全編が経済自由主義と“グローバリズム”に対する核心を突いた鋭い批判で満たされており、日本はおろか米国のその種の論考をはるかに超えたものであるとともに、視点に新鮮さを感じるものでもある。
しかし、日本語版出版社や翻訳者も悩んだのだろうが、『経済の独裁 − ネオリベラリズム批判 −』というタイトルは、原題と内容に照らすと疑念を提起せざるを得ない。
フランス語原題は「奇妙な専制」であり、内容は、グロバーリズムと称するイデオロギーを掲げながら、経済を破壊しつつ、自己の投機(金融)的利益の拡大を実現するために各国政府まで操っている一部経済支配層を顔を“見えない専制者”として描き出し、専制者にノンを突きつけるよう人々をアジるためのものである。
それならば、『投機経済の独裁 − 新自由主義批判 −』もしくは『金融支配層の専制 − 新自由主義批判 −』というタイトルにすべきであろう。(リベラリズムも、日本では政治的意味合いそれも米国民主党的左派思想がイメージされるものだろう)
著書は、お金でお金で稼ぐ投機(金融)が“本来の”経済を破壊するものだということを第一義的に糾弾しているのだから、「経済の独裁」ではその論旨をぶち壊しにしてしまう。
世界観や価値観を著者と必ずしも共有するわけではないが、阿修羅サイトに集う人々のみならず、左右政治心情を問わず政治家・官僚・企業経営者・ジャーナリストのみなさんにも是非とも読んでいただきたい書である。
(亀井静香氏のような赤字財政支出拡大派にとっても強力な助っ人になるはずだ。官僚にとっても、“官僚叩き”が新自由主義的世界支配のための一つの手法であることを明示しているありがたいものだ)
勝手な推測で恐縮だが、ジョージ・ソロス氏は、彼女にけっこう共感すると思われる。
ヴィヴィアンヌ・フォレステルさんの思想は、反グローバリズムではなく、「反“でっち上げ”グローバリズム」であり、その意味では、極めて良心的なグローバリズム左派だとも言える。
本書の内容を一部紹介させてもらう。
「領土という領土を超えて、空間全体を独占せずにはおさまらぬ、蓄積への欲望、神経症的な金銭欲、利潤への欲望・・・・
かくの如き略奪にとっての最高の切り札、それがグローバリゼーションという言葉だ。」
「ウルトラリベラリズムは、わたしたちの目の前で、日々、大失態を演じている。いわゆる市場経済の自己調整機能というドクマ、と言うより、幻想に支えられた、このイデオロギー・システムは、システム自体を管理することも、それが引き起こした事態を制御することも、それが招いた混乱を収拾することもできないという無能さを、日々晒している。それは行く先々で、人々に災厄をもたらすばかりか、ついにはブーメランよろしく、己の身に襲いかかって、必死の努力も虚しく、最低限の秩序さえ確立できないと言う無力ぶりを示しているのだ。」
「もう目覚め、気づいてもいいのではないだろうか。わたしたちが生きているのは、決して運命の王国ではなく、ありふれた一つの新しい政治体制にすぎないということに。そうとは公言されぬままに、国際的というか、むしろ地球規模のものになっているとはいえ、秘密裏ではないものの、狡猾で匿名的であるが故に、目の前にありながら、誰にも気づかれないとはいえ、一つの政治体制であることには変わりなく、そのイデオロギーが政治の原理そのものを排除するが故に、そして、その力が政治権力と制度を必要としないが故に、よけいに見えにくいということだけなのだ。」
「この体制は、統治せず、統治すべきものを軽蔑するか、まあ無視するくらいのものである。本来は上に位置するはずの古典的な政治の役割など、それにとっては下位のもの、まるで頓着しない。それどころか、逆に、そうしたものは阻害物でしかなく、こうるさいものでしかない。というのも、この地球を実質的に管理しているのは、この体制に他ならないとはいえ、管理に伴う実際的な仕事は各国の政府に委ねられているという事情から、その標的とされたり、やり口にいちゃもんをつけられたり、さらには、何とか内容までは言及させないものの、地球的な規模での大惨事をもたらしかねないものとして槍玉に挙げられたりもするからである。民衆はと言えば、そもそも控え目で無口というふうに決めつけられているわけで、たまたまそうでなくなったときに、いらだたしいものとして、この体制に感知されるのが関の山である。」
「リベラリズムの信奉者たちは、肩をすくめ、いかにも小馬鹿にしたように、反対するものを見下して、余裕綽々まくし立てては、彼らをまるで、「歴史」を否定し、「進歩]を拒む、救いようもない時代遅れの哀れな頑固爺のようにみなして憚らない。
人口に膾炙し、しかも、バイアスのかかった語法による策略、見事な陰謀、日毎に力を増し、「グローバリゼーション」という言葉がうみだされたのもそこ。そして、ついに、そこで、新たなテクノロジーの成果が、その不可逆性が、それを利用する政治体制と混同されるに至ったというわけである。最先端の研究、発明発見によって、人類すべてのためにもたらされた自由、社会的活力、その無限の可能性が、災厄に、全人類を巻き込んだ災厄に変わってしまうことが、あたかも自明のことであるかのように。」
2,200円とちょっと高い書籍ではあるが、十二分にそれに見合う書籍である。