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「わずかばかりの誠実さは危険である」(ワイルド、英国の詩人、1854〜1900)
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1月23日の衆院予算委員会で小泉首相の大失言が飛び出した。懲罰に値するほどの重大な失言である。すでに新聞で十分に伝えられていることではあるが、改めて正確に記録を見てみたい。
衆議院が発行している『速記録(速報版)』によると、菅民主党代表の「この三つの約束(8月15日靖国神社参拝、国債発行額30兆円以下、ペイオフ解禁――森田)の中で、一つでも守れた約束がありますか」の質問に対して、次のように答えた。「誤解していただきたくないんですが、私は、確かにこれは約束しました。しかし、私の最大の国民に対する約束は行財政改革ですから、そういう改革の中でこういうことを言ったのも事実です」
これに対して菅代表が「この三つとも約束が守られていないという意味ですね、今の答弁は」は追い打ちをかけた。ここで次の大失言が出た。「今の言うとおりならば、確かに、そのとおりにはやっていないということになれば 約束は守られていない。しかし、もっと大きなことを考えなきゃいけない、総理大臣として。その大きな問題を処理するためには、この程度の約束を守れなかったというのはたいしたことではない」
この最後の部分は、戦後国会史上記録に残る大失言である。小泉首相が「国債発行額30兆円枠を守る」と声高に繰り返し叫んだことを記憶している方は少なくないと思う。「小泉は一度言ったことは必ずやる男だ」と大見得を切ったこともあった。小泉首相は過去の自身の発言を忘れてしまったのだろうか。恥の意識がないのだろうか。
小泉大失言を聞いた瞬間、頭に浮かんだのが1953(昭和28)年春の吉田茂首相の「バカヤロー発言」である。この年の2月28日の衆議院予算委員会。右派社会党の西村栄一議員が国際情勢の見方について質問した時のことだった。吉田首相が席に着いたまま「ばかやろう」とつぶやいた。このあとのやりとりは議事録によると――
西村「何がばかやろうだ。ばかやろうとは何事だ。これを取り消さない限りは、私はお聞きしない。(中略)取り消しなさい。(下略)」
吉田「私の言葉は不穏当でありましたから、はっきり取り消します」
西村氏は取り消し発言を了承して質問をつづけた。一時は一件落着に見えたが、そうはならなかった。講談社刊『昭和2万日の記録』10、p.50によると――
「右派社会党は同夜、首相の懲罰動議を提出(中略)。この動議が採決に付された時、かねて反吉田色を強めていた自由党(当時の政権党 ――森田)の民同派(鳩山一郎派)と同志クラブ(農相広川弘禅派)が欠席戦術をとったため、191対162で国会史上初めての首相懲罰動議が可決された。3月13日、野党(改進党、左右両派社会党、日本共産党は議席零)は内閣不信任案を提出した。自由党民同派は鳩山以下22名が離党し、分党派自由党を結成したため、翌14日不信任案は229対218で可決され、同日、首相は衆議院を解散した。これが世にいう『バカヤロー解散』である」
吉田内閣が退陣したのは、それから1年9ヵ月後の1954(昭和29)年12月のことだった。代わって登場したのが鳩山一郎民主党内閣だった。翌1955(昭和30)年11月15日、民主党と自由党が合同して自由民主党が誕生した。保守合同である。
吉田首相の「バカヤロー発言」からちょうど50年経った。50年前の右派社会党は、吉田首相が発言を取り消しても、許さなかった。懲罰動議を提出して吉田首相の責任を問うたのだった。
今の民主党はどうか。菅代表は小泉首相に発言の取り消しを求めなかった。それだけではない。民主党は小泉首相への懲罰動議を提出する構えも見せていない。小泉首相から一本取ったくらいで喜んでいて、野党第一党の責任を果たすことができるか、と言いたい。民主党は直ちに小泉首相に対する懲罰動議を提出すべきである。
2003年1月23日の小泉発言は、1953年2月28日の吉田発言以上のひどい失言である。「この程度の約束を守れなかったのはたいしたことではない」発言を不問に付したら、政治家の公約違反を止めることは困難になる。菅民主党よ、50年前の右派社会党の闘志を持て!