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■新潟に5人だけで集結する
■自分たちも拉致問題と闘う
■「バッジ外してもいい!?」
■いつまでも“被害者”ではない
「韓国の大統領選挙も不安要素の一つです。また太陽政策を行ったらと思うと……。不安要素は消えません」と蓮池透さんは言う。「5人を帰さないのは約束違反」という北朝鮮と、「絶対帰さない」という日本。子どもの帰国もかなわない膠着状態が続く中、被害者5人が事態の打開のためについに動き出す――。
新潟に5人だけで集結する
「どうも5人で何か行動を起こすようです。単なる旅行で終わりそうにありません。彼らの共通した意思として何かを宣言しようとしているのではないでしょうか。それとも記者会見を開いて、質問をされることに(コメントを拒否することなく)誠実に答えようと考えているのか。
ともかく5人が北(朝鮮)に対して何らかのアクションを起こすつもりになっているのは間違いないでしょう。おぼろ気ながら想像はつきますが、彼らより先に私の口から具体的なことは言えません」
こう打ち明けるのは、蓮池薫さん(45歳)の兄、透さん(47歳)である。
子どもや夫を北朝鮮に残したまま帰国した5人の拉致被害者が、ここにきて重大な決意を固めたようだ。5人とは言うまでもなく、地村保志さん(47歳)・富貴恵さん(47歳)夫妻、蓮池薫さん・祐木子さん(46歳)夫妻、曽我ひとみさん(43歳)である。これまで5人は「日本政府の決定に従って、北朝鮮に戻らずに家族との再会を待つ」と言ってきた。北朝鮮に戻らないのは本人たちの意思ではなく、政府が決めたことだからというわけだ。それを初めて、本人たちの意思で「北朝鮮に戻るつもりはない」と表明するというのだ。日朝政府間交渉で暗礁に乗りあげている拉致問題が、重大転機を迎えることになった。
薫さんをはじめとする5人は、12月18日から20日までの3日間、新潟に全員集合して再会する予定である。5人が一堂に会するのは10月17日以来のこと。帰国を果たした翌々日にそれぞれの故郷に帰り、離ればなれとなってから約2ヵ月ぶりとなる。『救う会』関係者が、今回の旅行の目的をこう語る。
「家族と日本で再会できるまでは頑張ろうと、お互いに励まし合うのが目的だと聞いてます」
3日間過ごすのはすべて新潟県内。初日は県内のホテルに泊まり、2日目には温泉へ、3日目には県庁で記者会見も予定されているという。参加するのは5人のみ。親や兄弟は参加しない。唯一、蓮池透さんだけは日々の会見などの調整役として同行する。
5人が一堂に会することもさることながら、注目すべきは、今回の旅行の発案から企画、実行まで、すべて5人の手で進められた点にある。透さんが苦笑する。
「私たちには何もさせてくれないんです。どこへ行くかから、3日間どこに泊まるかまで提案はしてみたんですが、ほとんど採用してくれない。あるときは『5人だけで行く』なんて言われて、危うく仲間外れにされるところでした」
帰国当初は、「北に戻る相談をするのでは」と疑われると思い、互いに電話でのやりとりも控えていた。しかし、北朝鮮に戻らないことが確定したころから、蓮池薫さんは「そろそろ5人で集まりたいよね」と地村保志さんなどと電話で話をする機会が増えたという。曽我ひとみさんの家族のインタビューが『週刊金曜日』に掲載されたときも、薫さんは心配して電話をかけた。様子を聞いた透さんに、薫さんは、「(曽我さんは)元気そうだった。安心した」と喜んで報告したという。
「バッジ外してもいい!?」
最近では5人の間だけでなく、地村保志さんが透さんへ電話をかけてくることもしばしばだ。
「地村さんは悩みの深そうな顔だと思ってたけど、発想は実に柔軟。ときに過激すぎて驚かされます」(透さん)
つい先日も、電話に出ると保志さんの声で、
「あ、蓮池さんのお兄さん? バッジのことなんだけどね、これ外しちゃってもいいと思わない? まずいかな?」
バッジと言えば、5人が左胸につけた金日成・正日親子が描かれたあのバッジしかない。彼らは日本に帰ってきてからも、ずっとつけてきた。
「そりゃ大丈夫だろうけど、外したとき面倒なことが起きたら嫌だって言ってたじゃない」
保志さんの返答は、むしろ痛快だった。
「だって、もう外したくてしょうがないんだよね」
透さんがこう振り返る。
「彼はもう大丈夫(北朝鮮に戻るとは言わない)だなと、そのとき肌で感じました。日朝間の交渉が膠着状態にあるなか、ジッとしてられなくなったんでしょう。保志さんはもともとヤンチャな人ですし。薫も、富貴恵さんや祐木子や、佐渡の曽我さんだって同じ気持ちなはず。新潟での再会話が持ち上がってきたのは、そのせいじゃないかと見ています」
今でこそ表情も穏やかになった5人だが、帰国当初は「北朝鮮に洗脳されているのではないか」と思われるほど暗い表情をしていた。特に薫さんが帰国会見で、
「ご迷惑をおかけしました」
と、挨拶した時の挑戦的で無機質な表情は、いまだ記憶に新しい。
その後も、拉致状況などを執拗に聞く透さんに、薫さんは、
「今はいいじゃないか。いずれ話そう」
と言い捨てた。
「俺たちはお前たちをもう北には帰さないと伝えたとき、弟は『それでも北朝鮮との約束だから』と北朝鮮へ戻る意思をまったく曲げませんでした。本当に何を考えているのか……。もうダメだと思いました。誰が何を言っても耳を貸そうとしなかったんです」(透さん)
また、幼なじみと議論しても薫さんは、
「俺の24年間を無視するつもりかッ!」
と激昂もした。
自分たちも拉致問題と闘う
薫さんは、特に北朝鮮に戻ることには過敏になっていた。戻る予定日とされた10月28日ころ、妻の祐木子さんがあっけらかんと声をかけたことがあった。
「あれ、もう(帰国してから)一週間? 帰るんじゃなかったっけ」
薫さんは、
「そんな簡単な問題じゃないんだっ」
と声を荒らげたという。
「弟は自分たちが日本を離れるかどうかということは、日本を選ぶか北朝鮮を選ぶかという重大な選択であることを認識していたのでしょう。だから、普通なら笑い飛ばせるような祐木子の反応についても厳しい反応を見せたのだと思います」(透さん)
地村保志さんも事情は同じで、当初は、
「こんなに大問題になってるとは知らずに、あちらで幸せに暮らしてきた」
「日本に帰ってから共和国を見ると知らなかったこともある。すべてが正しいとは思わないが……」
などと、明らかに北寄りの発言を繰り返した。
極端に言葉の少ない息子にイラ立って、父・保さんは、
「昔のままの息子やと信じたいけど、何をどう信じたらええんか分からん」
と、苦しい胸のうちを周囲に漏らしたこともあった。
5人に変化の兆しがみられたのが、日本政府が10月24日に「帰国者の滞在延期」を決定したころだった。
その前日、父の保さんと富貴恵さんの兄の浜本雄幸さんが突然、内閣官房の中山恭子参与に面会するために上京をした。そのとき保さんは、
「助けてくれと、言いにきたんや」
と説明をしていた。だが、もうすでに保志さん夫妻の永住帰国する意思は固まっており、それを伝えに東京へやってきたのだという。
蓮池さんは当初から北朝鮮に戻ることを訴えていたため、その意思をくつがえすことは難しいとみられていた。ところが、薫さんも自ら10月24日、中山参与に電話を入れ「日本で子どもを待とうと思います」と伝えたのだ。
「弟が決断をする前に、政府が『帰さない』との決定をしたことが大きかったのでしょう。中山参与は本人たちの希望としてではなく、政府として『帰さない』との意向を北朝鮮に伝えてくれた。弟の意思で決定したとなると北朝鮮の手前、残してきた子どもが危ない状況に陥る可能性もある。しかし中山参与が配慮してくれたことで、弟は『日本人として政府に守られている』という安心感を得られたのだと思います」(透さん)
以降、パソコンを積極的に学び始めたことや自動車の運転免許の取得を始めたことにも、薫さんの心境の変化が現れている。透さんが証言する。
「はじめはパソコンも指一本一本で叩きながらおそるおそるという感じでしたが、最近はメールもくれるようになりました。日本で働くこと、生活することを本気で考え始めている証拠です」
12月4日には、薫さんは新潟県柏崎市の西川正純市長にメールを送っている。そのメールでは5人が再会することを告げ、その際、共同で永住帰国の意思を確認するつもりであると明かしている。
地村保志さんが透さんに電話で相談したように、5人が身につけてきたバッジを公衆の面前で外したなら、二つの意味で決意表明をしたことになる。
「まずは、自分たちが『朝鮮公民』でなく『日本国民』であることを金正日に向けてアピールできる。さらには、だからこそ自分たちも拉致問題と闘うんだという姿勢を、北朝鮮にむけて見せることにもなるんです」(透さん)
5人にとって気がかりなことも起こっている。彼らの心境の変化と逆行するかのように、一部の人たちから心ない中傷が向けられているのだ。『救う会』会長で、現代コリア研究所所長の佐藤勝巳氏が、こう証言する。
「家族に届く手紙が膨大な数になっています。なかには心ない内容の手紙もある。『拉致されるほうが悪い』とか、『逃げればよかった』などという程度なら無視すればいい。悪質なのは、一見もっともらしい手紙なんです」
悪質な手紙は、おおむね次のような内容だ。
〈子どもと引き離された被害者を見るのは忍びない。本人たちが望むはずもないし、子どもたちの意思を軽んじてもいる。家族や支援者、政府が強引に日本に返そうとして、被害者やその家族の思いを無視するのと同じだ。5人を一度北朝鮮に返して、家族の意思を確認してから一時帰国か、永住かを決めればいい――〉
国家の思惑は二の次で、何より本人や北に残された家族の心情をまず考慮すべきという点で、一見、家族に優しいスタンスではある。
ただし、と佐藤氏が続ける。
「悪質な手紙を送ってくる人には北の実状が見えてない。朝鮮労働党幹部の日本人・寺越武志さんは、母親が北に迎えに行ったばっかりに、本人が直接『帰りたくない』と言ってしまった。寺越さんの発言が強制されたものだとしても、自主的に北朝鮮を選んだ形になれば、もう誰も『寺越さんを返せ』と口出しできなくなる。何をするかわからない国だけに、やはりいたずらに北に行くのではなく、日本に残って交渉すべきです」
家族会や政府のやり方に批判的な一部の意見に、同調したかのようなメディアも少なくない。横田めぐみさんの娘のキム・ヘギョンさんや、曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんをインタビューして、彼らが「おじいちゃん、おばあちゃんにこちらに来てほしい」「早く帰ってきてほしい」「もし戻りたくないなら、平壌の飛行場で日本に住むのか、朝鮮で住むのか話し合いたい」と訴えているなどと報じた。これらのメディアと家族の間にトラブルも頻発した。小泉首相の訪朝を御膳立てした外務省の田中均アジア大洋州局長も「北朝鮮との約束だから、一度彼らは帰らなければならない」という主張を変えていない。
いつまでも“被害者”ではない
拓殖大学教授の重村智計氏は、そんな意見を「まったく見当違いだ」と批判する。
「北朝鮮という国が分かっていない人が言う意見です。帰国者の5人は痛いほどよくわかっているはずです。5人が北に戻ったら、北朝鮮はどんな手段を使っても再び5人に日本の地を踏ませることはないでしょう。ならば、子どもたちを帰国させるにはどうすべきか。家族になんの了解も得ず、『日本への期限付き帰国』という約束を取り付けてきた田中局長が責任をとり、辞めればいいんです」
ところが、現実は逆に動いている。12月3日に発表された人事で、田中局長は年内にも外務審議官(政治担当)に昇格することとなった。このポストに就つくことで、田中局長は事務方のトップとなる次官も狙えるコースに乗ったことになる。拉致被害者の家族が、強烈に反発する。
「やはり外務省は伏魔殿のようなところですね。外務省も田中氏が正しいと言いたいのでしょうか」(透さん)
「われわれは田中均氏に対して評価することなどまったくないと考えています。田中氏にとって拉致問題は邪魔者で、彼は国交正常化交渉をいかに進めるかしか考えていない」(拉致されて死亡とされた増元るみ子さんの弟、増元照明さん)
5人をとり巻く日本の世論は必ずしも一体とはなっていない。5人が戻らないことで態度を硬化させた北朝鮮との交渉再開のメドも立っていない。「しかし」と、透さんが続ける。
「北朝鮮を隅々まで知りうる彼らが拉致問題解決に向けて動き始めたら、今までにない打開策を教えてくれるはず。弟たちはいつまでも被害者ではありません。『絶対に帰らない』という意思を持っているのだから、田中氏のような譲歩は必要ありません」
子どもたちが戻ってきたとして、日本の社会になじめないのではとの心配もあるが、薫さんは「なじめなかったら英語圏にでも留学すればいい」とまで語っているという。
「確かに、北朝鮮に残してきた家族のことは心配だと思います。家族と日本で再会できるまで何ヵ月、もしくは何年もかかるかもしれない。しかし私たちは24年間も待ち続けてきたんです。大丈夫です。18日からの5人の決意表明を見たら、『期限付き帰国』を主張してきた日本の外務省も、自分たちの間違いに気づき、悔しい思いをするでしょう。そして北朝鮮も、もう次のカードが残されていないことに気がつくでしょう。きっと彼ら5人は金正日に挑戦状をたたきつけてくれると信じています」(透さん)
5人の重大決意が功を奏し、拉致問題解決に大きな前進があることを祈りたい。