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イスラエル政府、平和運動を規制する法案を提出 国家反逆罪の適用も(日刊ベリタ 2002年11月9日)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200211090015046
イスラエル政府がグシュ・シャロン(平和ブロック)に代表されるような平和運動団体の規制に本格的にのりだした。与党リクードと労働党との連立内閣が崩壊する直前に、国家反逆罪の適用も含めた法案が国会に提出された。シャロン首相は、かれが名指しで売国奴呼ばわりしているウリ・アブネリを、アラファト議長同様に「国家の敵」として倒したくて仕方がないようだ。遅れたアラブの反動国家というイメージに対比して、イスラエルこそが中東で唯一の民主主義国家などと喧伝されてきた図式が、いかに作為に満ちたものであったかをドイツ紙が指摘している。(戸坂志明)
イスラエル人ジャーナリストで平和活動家のウリ・アブネリが国家の敵でないことは明らかである。遵法精神に富んだイスラエル国民のひとりとして彼が生きてきたことは、誰もが知っており、確認されていることであろう。それを否定する背景にあるものは、パレスチナに生まれ育った隣人との平和共存と国際法の下で暮すイスラエル人の権利を、不法に抑圧している国家の姿だ。ありのままに真実を語る人が、国家反逆罪を犯したことになるのである。先月、与党リクードが議会に提出した法案によって、その法制化が準備されている。
イスラエル人は、ハーグの国際刑事裁判所の構内に限られるものの、パレスチナ領土内での人権侵害に関する実情が公にされ、近年では10年の禁固刑を科されるまでになった。だからこそ、占領地における戦争犯罪の隠蔽を厳しく非難してきたグシュ・シャロンによる積極的な活動を違法なものであると、法に名を借りて言いかえる必要があったのだ。シャロン政権は、アブネリを「国境を越えたパリア(不可触賤民)だ」と蔑み、アブネリの発言の数々が与える影響力を、イスラエルが立法化を進める理由にしている。
現在運用されている国際法では、いずれにしても正義を保障する人間がいない。それをいいことに、米国とイスラエルという国家だけが国際法の適用範囲外にあって、国際社会に挑戦を続けている。戦争犯罪が刑事裁判権の下で裁かれるのではなくて、暴露されるだけにとどまっている。隠蔽されている情報を白日の下に曝すことで、ハーグでは情報がしかるべき人の手に渡り、解決につながるのである。国外での軍事行動は、国内での弾圧体制と表裏一体である。それにもかかわらず、イスラエルが中東で唯一の民主主義国であるという執拗なデマが繰り返し使われてきた。(「ユンゲ・ベルト」紙2002年11月1日号)
【解説】ウリ・アブネリは、独立平和運動団体グシュ・シャロン(平和ブロック)の中心メンバーのひとり。昨年発表され、欧州各国でも翻訳され注目された「パレスチナ・イスラエル平和協定」(日刊ベリタのアーカイブにも収録されている)の起草者でもある。アブネリは、ドイツ系ユダヤ人として、1923年にドイツ共和国のヴェストファリア州ベックムで生まれた。1933年のナチスの政権掌握を受けて、パレスチナに移住した。第2次世界大戦中は、秘密軍事組織イルグンのメンバーとして、イスラエル独立の際は、サムソン・フォックスの戦闘員としてパレスチナ人の追放と殺害にかかわった。アブネリは、自分はテロリストであったと当時を告白している。1967年の第3次中東戦争(6日戦争)から反戦平和活動を始め、1974年にはPLOとも接触し、それ以来一貫してパレスチナ人との2国家平和共存を主張してきた。
アブネリを国際社会で最も有名にさせたのは、1982年7月3日にレバノンに軍事侵攻したイスラエル軍の包囲下にあった首都ベイルートで、イスラエル人として初めて、アラファト議長と会談したことだ。戦闘の最中でもあったことから、世界中でセンセーションを巻き起こした。このことからも分かるように非暴力抵抗を唱える行動の人である。1965年から1981年までの間に6年の中断をはさんで、国会議員を3期10年務めた。1993年にはグシュ・シャロンの結成に参加。この間、数々の平和賞を受賞した。現在のイスラエルの平和運動の顔とも言える人物だ。
今回提出された法案が成立する条件は、シャロン現首相やネタニヤフ元首相らの右翼リクードが総選挙に勝利し、議会で多数派を組織できるか否かにかかっている。(戸坂志明)