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(回答先: Re: 非民主的(書記長的)な決議の方式で世界はこわれていくんだろうな。 投稿者 B 日時 2002 年 10 月 20 日 09:23:43)
Bさん こんにちは
私たちは戦後の教育の中で、なにかことが起きれば皆で協議をし最善と思われる方法で解決すればよい。暴力はコレを否定する。と教えられて育ってきました。今我々の頭にあるのはこのような平等意識と信頼の原則に基づく判断方法だと思います。
しかし、外交の世界の判断基準は全く違うところにあり、既得権益の温存と強者の論理であると思います。国連が設置された当時、世界は自由権と共産圏の対立と冷戦構造の中にありましたが、この世界を何とか一つの機関にまとめ上げるために各種の妥協手段が取られ、その一つが常任理事国の拒否権で有ると思います。そしてそれが現在に至るも生きている。つまりは国連の運営の基本は戦後の枠組みのままなのです。このあたりの感覚は日本人にはあまり無い。我々はもっと楽天的に正義と民主主義の通用する場だと考えている。
日本がこれまで外交の場でホゾを噛んできたことはあまたありますが、これらはすべてこのような外交音痴のためだと考えています。
よく振り回される「人道的」という言葉も、武器の一種でしかないことはあなたのおっしゃるとおりであると思います。一刻も早くこのような音痴状態から抜け出すことが、日本人にとって一番大事なことではないでしょうか。
生活の周りでも相互信頼関係は音を立てて崩れています。かって我々は忠孝の世界に生きてきましたが、これは相互の信頼関係を基にしたもので、忠を尽くせばそれに応えてもらえる、孝を尽くせば親も一生懸命になってくれるというのが前提でした。しかし現在では状況が全く変ってきました。いかに会社に忠勤を励んでも、会社が困ればリストラをされる。孝を重ねても親が子を捨てなければならない状況が発生する。このような世界に、日本も突入してしまったのです。
これの是非を論じていても状況は変わりません。大切なことはいかに早く変化になじんで行くかだと思います。そうしなければ生きることすら出来なくなる。
原爆の恐ろしさは十分に解っています。しかし、その原爆をちらつかせて自己の利益を主張しようとするような輩が現れれば、その時は自らの判断を変える必要が有ると思います。軍事拡張が際限なく進んでいくのは、このような考え方が世界の潮流であるからです。自分の所だけその枠外に居ようとしても、そうは問屋が卸してくれないでしょう。
だから今、北朝鮮が核兵器をちらつかせて来るならば、こちらもそれに対応して行くのが正解であり、それ以外の解は全くないと思いますがね。核兵器を保有することについては、自衛権の発動の解釈一つで現行憲法の下でもどうにでもなります。紛争解決の手段としての戦争はこれを永久に放棄すると言うのは、お互いに外交でせめぎあって解決しないからじゃぁ戦争だというのが駄目ということであって、核兵器の禁止など何処にもそんな文言は無かったはず。攻めてこられれば当然発動する自衛権の範囲で、判断の時期をチョイト前後するだけで先制攻撃も可能だと僕は考えています。そうでもしなければ国を守ることが出来ない。
今こそ安全ボケを反省し、正しい道に転進する絶好の機会ではないかと思いますがね。