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10/09 16:41 帰郷できずホテルに10年 アブハジア紛争の難民 外信55
共同
グルジアのイスラム系住民が独立を求めたアブハジア紛争の発生
から十年。紛争を逃れたグルジア人難民は首都トビリシのホテルな
どで生活。狭い部屋で長年、帰郷のあてもないまま悲惨な生活を余
儀なくされていた。
トビリシ中心部の国営ホテル、イベリヤ。かつて最高級だったホ
テルは、三百弱の部屋すべてを難民が占め、営業を停止していた。
「一部屋に四、五人はざら。七人いることもあるのよ」と難民の
ロブジャニゼさん(36)。紛争が始まった直後、アブハジアから
逃げ出し、ホテルに暮らして十年近くになる。
トイレとふろ場を入れて十八平方メートルのシングルルームに、
母、成人した妹、弟と四人で住む。ベッド二つとソファで部屋はい
っぱい。ベランダはベニヤ板で覆われ「食堂」に。体を洗うのも、
食器や野菜を洗うのもふろ場だ。「狭いのが一番いやだけど、十年
もいて慣れた」とため息をつく。
アブハジアにある難民らの元住居にはイスラム系住民が住み、迫
害の恐れから帰郷の見込みはない。難民生活のストレスで自殺者も
後を絶たないという。
エレベーター前で難民相手に生活用品を売っていた難民の女性は
、記者がカメラを向けると「やめてくれ。多くの記者が来たけど何
も変わらない。もう飽き飽きだ」と怒鳴った。
政府の生活補助は月わずか十一ラリ(約六百三十円)。「病気に
なっても病院にすら行けない。息子は二年前、白血病にかかり、ろ
くな治療も受けられずに死んだ」と、別の難民女性パチュリヤさん
は涙を流した。
難民らはトビリシで職を探そうとするが、紛争で経済が疲弊し、
25%にも達するとされる失業率の下では、トビリシ出身者でさえ
就職が難しい状況だ。
ワシャキゼ難民・移住問題担当相は、難民対策が不十分と認めな
がらも「難民対策費は国家予算の13―15%にも上る。グルジア
のような小国にとって、これが精いっぱい」と訴える。
政府によると、紛争の難民は現在約十六万人。うち約六万人がホ
テルや病院、保養所、学校などの施設に一時的に身を寄せている。
「政府のアパートなど恒久的施設に難民を受け入れられないのか」
との質問に、ワシャキゼ氏は「受け入れ施設がない」と説明。
しかし、地元記者は「定住先を与えれば、難民でなくなってしま
う。事実上グルジアの主権が及ばなくなったアブハジアを取り戻す
ために、グルジア人難民が多数いることを国際世論に訴え、帰郷の
望みを持ち続けてもらうことが必要なのだ」と解説した。(トビリ
シ共同=太田清)
(了) 021009 1640
[2002-10-09-16:41]
10/09 15:31 アブハジア紛争とは 外信56
アブハジア紛争 グルジアの黒海沿岸にあるイスラム系アブハジ
ア自治共和国が1992年7月、主権を宣言。これに対しグルジア
正教系住民が主流のグルジア政府は同年8月、軍を共和国首都スフ
ミに派遣、紛争が始まった。ロシアの支援を受けたアブハジア軍と
グルジア軍との間で激しい戦闘が続いたが、国連の仲介で93年に
暫定停戦合意、94年4月に即時停戦実施に調印した。同共和国は
事実上の主権を獲得、新憲法を採択した上、大統領も選出された。
紛争で多数の正教系住民らが難民となった。(共同)
(了) 021009 1530
[2002-10-09-15:31]