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(回答先: 欧州で反戦デモ、米国人に脅迫状も (日経新聞) 投稿者 新規投稿 112 日時 2002 年 10 月 06 日 20:41:10)
丁度日本の東京でオウム教による地下鉄サリン事件が起きた日に、アメリカのLA・タイムズのマン記者の記事により、戦後の日本とイタリアはアメリカの売弁国家だったいうことが明らかにされた。
そのイタリアでは、つい10年前まで、マフィアが彼らに歯向かう人間がほとんどいなくなっていたなかで、勇気と信念をもち彼らマフィアと闘っていた判事を、白昼堂々と車ごと爆破させるという事件が起きていた。
次のものは「超陰謀」ジョナサン・バンキン著 から。
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連合軍がシシリー島を確保し占領軍を設けると、マフィアと米軍は一段と親密度を増した。法と秩序を維持する必要があると同時に、まだやり残していたイタリア作戦用にできるだけ戦力をとっておきたかったため、占領米軍はヴィツィーニを含めたマフィアのボスをシシリアの多くの町の市長に任命した。ギャングがアメリカの支援を受けた疑似警察力へと変身したのだ。
アメリカはギャングを使って、当時芽をふき始めていた反ファシスト・レジスタント(抵抗戦線)をつぶそうとしたのであった。アメリカはイタリアのファシストたちを相手に戦っていたのだから、これは一見矛盾しているように見える。国の内部から強い抵抗運動が沸き起こってくるのは大歓迎のはずだと誰しも思うだろう。問題は何だったかと言うと、レジスタンスには左翼主義者たちが大勢加わっていたのである。イタリア共産党の党員数も膨らんでいた。これらの経緯が、戦いの相手となるであろうどんなファシストたちよりも、占領米軍にとって脅威だったのだ。マフィアは自ら進んで反共産党闘争の戦士になり、この反共産党の戦いが、イタリアをまだ支配していたファシストに対する戦いが未完成だというのに、それと取って代わったかのような感があった。
軍はマフィアをかわいがり、文字通り野放しに殺人を犯させた。ヴィツィーニはヴィラバで警察署長を殺害したが、アメリカ人たちのおかげでこの町で彼は市長ということになっていたのだ。
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