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ガス室問題本を読む──リビジョニストの“科学”(『科学朝日』) 投稿者 薮の中 日時 2002 年 9 月 30 日 16:40:20:

ガス室問題本を読む──リビジョニストの“科学”(『科学朝日』1995年4月号)

文藝春秋社の月刊誌『マルコポーロ』に、「ナチ『ガス室』はなかった」と題する記事(筆者は神奈川県内の国立病院の神経内科医)が掲載され、結果として同誌が廃刊にまで至った騒動はまだ記憶に新しい。
言論の自由と責任といった論点は他の媒体に任せ、ここでは本誌連載中の読書集団「と学会」(山本弘会長)の会員である作家・志水一夫氏や小社の久保田裕・メディカル朝日副編集長が収集している資料をもとに、ホロコースト・リビジョニスト(ユダヤ人虐殺に関する一般常識を覆そうという人々)の主張が北米ではいかに反論されているかを紹介してみたい。

通信販売で入手できるリピジョニスト本

まず、両氏によれば、海外のホロコースト・リビジョニスト(長いので以下ホロ・リビと略す)派の本は日本でも通販によって割と簡単に購入できる。
代表的な「業者」としては米カリフォルニアの「ヌーンタイド・プレス」、カナダ・トロントの「サミズダート・パブリッシャーズ」がある。前者は70年代から活動している米国最大のホロ・リビ団体といえる「インスティテュート・フォー・ヒストリカル・レビュー」(IHR。機関誌編集などの関係者としてマーク・ウェーバー、セオドア・オキーフェといった人物の名がある)と密接な関係にあり、ナチズム礼賛本も含めた多彩な本を販売している。
後者は、本誌95年1月号の記事「ナチスがUFOを飛ばしていただって!?」でも触れた、エルンスト・ズンデルというホロ・リビ派のドイツ人が運営しており、やはり同様な本を販売している。
ちなみに、『マルコ』の記事中で、英文の原題つきで触れられているホロ・リビ本3点(ガス室はなかったというホロ・リビ派の主張の″科学的根拠”となっている『ロイヒター・レポート』など)は、いずれもヌーンタイド・プレスの92年版カタログに載っている。また、ズンデル氏のサミズダート・パブリッシャーズでは『初心者のためのホロコースト・リビジョニズム』(1本30ドル)など十数種のホロ・リビ・ビデオも販売している。
これらの本・資料を集めて読めば、それなりのホロ・リビ解説家になれるだろう(*1)。

実事求是的なホロ・リピ反論本

さて、このようなホロ・リビ本の主張に対して具体的に反論する本も各種出版されている。ここではそのひとつ『デナイング・ザ・ホロコースト』を紹介してみよう。
●Deborah Lipstadt "Denying the Holocaust, The Growing Assault on Truth and Memory", Free Press(A Division of Macmillan,Inc.),1993
著者のデボラ・リップスタットはエモリー大学(米アトランタ)宗教学部教授。ホロ・リビの始まりから説き起こし、彼らによる「ガス室はなかった」「アンネの日記は偽作だ」といった主張を紹介しつつ、その誤りをさまざまな資料に基づいて具体的に指摘している、いわば反ホロ・リビの概説書といった趣だ。
本書によれば、ホロ・リビの開祖はフランスの全体主義者モーリス・バルデシュで、1947年から連合軍のプロパガンダに対する攻撃やナチスの擁護を始めたという。その翌年から、ポール・ラッシニエというレジスタンス参加とブッヘンヴァルトとドーラで強制収容所経験を持つ人物が、ホロ・リビ本を執筆・公刊し始める。彼は戦争直後に社会党の下院議員にも選ばれた人間だが、ホロコースト“でっちあげ”の背後には「シオニスト」がいるといった考えの持ち主だったそうである。
問題のガス室論争は、前述のズンデル氏が84年、出版などを通じて反ユダヤ主義を広めたかどでカナダ政府から訴追された裁判が主要な舞台となっている。
まず、さきに触れたレポートの筆者である「ガス室専門家」フレッド・ロイヒター氏が、その分野での専門的訓練を受けていない(彼の大学での専攻は歴史)とズンデル裁判で国側代理人から突っ込まれたことや、また彼がマサチューセッツ州で設立した電気椅子やガス室のメーカーに対して「無許可営業」というクレームがつき、結局91年に同州当局に対し「自分はプロのエンジニアではない」と文書で認めた話が紹介されている。
絶滅収容所で使われたツィクロンBの成分とされるシアン化水素(HCN、*2)をめぐる議論では、HCNの殺虫力は対人毒性に比べて弱いとズンデル裁判で国側が指摘していることが本書にはあげられている(甲虫を殺すのに人間の致死量の60倍が必要だとされた)。HCNは虫を殺すのにさえ時間がかかるガスであり、人間をすばやく殺せたか疑問というホロ・リビ派の主張への重要な反証だ。
シアン化水素は爆発しやすく、それを使ったガス室の隣に死体焼却炉を置くのは不合理な設計(だからここはガス室ではない)というロイヒターらの主張には、リップスタットはガス室のガス量は爆発の閾値を下回るという調査結果をあげる。
ツィクロンBを殺虫目的で使う場合の当時のマニュアルによれば使用後20時間は再入室が禁じられており、これでは言われているほどのペースで虐殺は進まなかったのではないか、という主張には、そのマニュアルは家具(HCNを吸着する)がある普通の部屋のためのものだという指摘がある。問題のガス室は人間のほかはがらんどうで、しかも本書に引用されている調査によるとガス室には強力な換気装置がついていた。つまり、ガスは「使用後」すぐに外に排出されたというのである。
ちなみに、ガス室の壁にHCNを使用した場合に特有の青いしみが薄いのは、ガスの滞留時間がこのように短いためであるとされる。
また、ロイヒターは一部のガス室に青いしみがまったくないのはおかしい、と指摘しているが、リップスタットによれば、そこは45年1月にダイナマイトで破壊されたエリアであり、現在のアウシュビッツの建物には後に再建されたものがあるという。
ほかにも論点はいろいろあるが、この本が示しているのは、ホロコースト・リビジョニストを問題視する人々の論争の少なくとも一部は、きわめて実事求是的に行われているということだ。
例えて言えば、UFO=宇宙人の乗り物説をナンセンスだとして退けるばかりだと、そうした超常的信念がかえって温存されてしまうという意見がある。それと同様な立場に、リップスタットらはいるのだろう。
今回の一件だけでなく、ホロ・リビ的言説は今後も日本に入って来るかもしれない。ホロ・リビ派の議論のどこが間違いかを指摘する人々と著作があることを知っておいても損はない。(本誌・木元俊宏)

*1 ズンデル氏、ロイヒター氏らはデンマークのドキュメンタリー「ユタヤ人虐殺を否定する人々」(93年6月4日、NHK)で取り上げられている。

*2 HCNの分子土は約27で、空気の主成分である窒素N2の約28、酸素02の約32よりわずかに軽い。しかし水素H2(分子量約2)みたいにむやみに軽いわけではない。なお沸点は25.7度C。

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