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1980年9月、イラン・イラク戦争の先制攻撃を仕掛けたのは現フセイン大統領。イランのホメイニ・シーア派政権の余波が自国に及ぶことを恐れたため(イラク国内の過半はシーア派)と、フセインの野望のためだと言われる。
しかし甘くみたのはイラクだった。フセインは開戦直後から停戦のチャンスを求めていた。
開始直後に石油輸出港は破壊され、82年4月にはシリアのパイプラインが閉鎖され、84年二月から三月にかけては要衝バスラ陥落の危機にさらされた。
このときフセインはなりふりかまわず毒ガスを使用し、ペルシア湾のタンカーを無差別爆撃した。
この危機を救ったのは旧ソ連で、イラクに大量の武器を供給したことであった。イランにも武器を供給していたソ連が中東の支配の命運を握ることになってしまった。
イギリス、(アメリカに援助された)イラン国王、とつづいてきた中東の警察官の役割は野望を燃やしたイラクの手からソ連に渡ってしまった。
1989年11月10日ベルリンの壁崩壊。
そのソ連の力が緩みだした1990年8月クエート侵攻、
アメリカの湾岸戦争勝利後、ソ連は1991年12月21日崩壊する。