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9月11日を中心に、内外マスメディアで「グラウンド・ゼロ」という言葉がしきりに使われた。
「グラウンド・ゼロからレポートします」(NCC)
「グラウンド・ゼロ犠牲者」(読売新聞)
北京における9・11記念写真展でも、会場の壁に「GROUND・ZERO」と大書されていた。
だが、「グラウンド・ゼロ」の真の意味は、原爆の爆心地という意味だ。広島、長崎のことだ。日本降伏後、広島を訪れたアメリカの原爆調査団が、何もない爆心地に名づけた言葉である。したがって、「グラウンド・ゼロ」という言葉に、ことに日本のジャーナリストであれば、当然26万人の命を奪った広島や長崎の惨状を連想するはずだ。ところが、今回のニューヨーク「グラウンド・ゼロ」報道のどこにも、原爆との関連を思わせる文章や広島、長崎の影はない。
なぜ「グラウンド・ゼロ」の真の意味にこだわるかと言えば、ニューヨークの「グラウンド・ゼロ」を出発点に、そこにあった世界貿易センタービルの高速エレベーターさながら、急激にエスカレートしているアメリカの軍事行動の行き着く先に恐怖を覚えるからである。行き着く先は、あるいはもう一つの真の「グラウンド・ゼロ」ではあるまいか。
アメリカがイラク攻撃に際して最大に懸念しているのは、ヨーロッパの非協力でもアラブ世界の反米感情でもなく、恐らく米軍兵士の犠牲者数であろう。それが増えれば軍の士気に影響し、国内でもベトナム戦争時のような反戦運動が広がる可能性がある。イラクの戦略は市街戦に持ち込むことだというが、であれば持久戦が想定され、米軍の犠牲者数は増大する。その状況を打開するもっとも効率の良い武器が核兵器であることは言うまでもない。戦況次第で、ブッシュ大統領は核を使用したい誘惑に負けないだろうか。非現実的な空想とは思えないのである。
イラクの核兵器開発を潰すために核兵器を使うというのは、一体何だろう。たとえて言えば、路傍で立小便をしようとしている男を見つけ、退散させるためにその男に小便を引っ掛けるようなものだろう。ブラックジョークにしてもあまりにも無意味だ。
イラク攻撃を始めるならば、その前に、自国は絶対に核兵器を使用しないと、ブッシュ大統領は「グラウンド・ゼロ」の地面に額をつけて誓うべきだ。