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http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/fukkou/200208/11-3.html
アフガン人男性、妻子の空爆死知り自殺−−難民申請2年半…在留許可受け帰国
◇遺書に「生きる意味ない」−−大阪
日本で難民認定申請し、不認定になったものの法相の「在留特別許可」(在特)を得ていたアフガニスタン人のユノス・タヒリさん(30)が9日深夜、大阪市生野区の自宅アパートで自殺した。申請が約2年半放置された末、ようやく「在特」を得て、アフガンの家族を捜しに今年1〜2月、兄がいるイランに行ったが、米軍などによるアフガン空爆で妻子が死亡したのを知らされ、失意のまま日本に戻っていた。支援者らは「申請をすぐに審査し、難民認定していれば、家族呼び寄せの可能性もあった。タヒリさんも、タヒリさんの家族も死ぬことはなかったはず」と憤り、母国へ遺体を送るための資金集めを始めた。
関係者によると、アフガンの友人らにあててノートに記された遺書には「体は元気でも、私はごみのようなもの。生きていても何の意味もない」などと書かれていた。
タヒリさんは99年3月来日し、4月に難民申請。9月に理由が明かされないまま不認定となり、異議を申し出ていた。しかし、申し出は放置され、昨年9月の米同時多発テロ、10月の米軍などによるアフガン攻撃開始後の11月に、異議申し出却下とともに、法相の裁量で「在特」が出され、1年間の在留資格が与えられた。今年1月、タヒリさんはアフガン国内にいるはずの妻と2人の子どもを呼び寄せる準備のため、兄のいるイランへ向かい、空爆で妻子が既に死亡していることを知らされたという。
タヒリさんと親しかった在日アフガン人男性(32)によると、イランから戻ってきたあと、タヒリさんは「もっと早く在留が認められていれば、こんなことは起きなかった」と落ち込んでいた。仲が良かったアフガン人の難民申請者(42)が申請を長期間、放置された末、3月に異議を却下され入管に強制収容されたことにもショックを受けていたという。
タヒリさんは少数民族、ケゼルバッシュ人で、反タリバン活動に参加。96年にタリバンに拘束されたが、イランへ逃走。99年3月に貨物船で山口県下関市に上陸した。【山成孝治、磯崎由美、村元展也】
(毎日新聞2002年8月11日東京朝刊から)
引用者注)写真は昨年10月の集会で難民認定を訴えていた、在りし日のユノス・タヒリ氏。