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インドネシアの東ティモール侵攻 米が事前了解と
2002.05.18
Web posted at: 13:31 JST
- CNN
(CNN)
5月20日に独立を達成する東ティモールが旧宗主国ポルトガルの「植民地放棄宣言」で政情不安に包まれていた1975年12月、当時のフォード米大統領とキッシンジャー国務長官が直接会談を行ったスハルト・インドネシア大統領から東ティモール侵攻計画を事前に知らされ、「迅速に処理することが必要」などと指摘、黙認を与えていたことが18日までに分かった。
米ジョージ・ワシントン大学が情報公開法に基づいて請求した米国務省の秘密外交文書で判明、ワシントン・ポスト紙などマスコミが報じた。米両首脳とスハルト氏は75年12月6日にインドネシアの観光リゾート地のバリ島で会談。インドネシア軍空挺(くうてい)部隊などによる東ティモール侵攻は翌日実施された。
当時のベトナム戦争の戦況など受け、共産主義が勢力を強める「ドミノ理論」がアジアに深まることを恐れていた米政府が、インドネシアの東ティモール侵攻を了解していたとの指摘はあったが、公式外交文書で裏付けされたのは初めて。
東ティモ―ルでは75年、独立を主張する勢力があり、インドネシアはこれを共産主義グループとみなしていた。インドネシアは軍事侵攻後の76年に併合宣言、27番目の州とした。
記事などによると、フォード、キッシンジャー両氏は会談でスハルト氏に「インドネシア指導者が東ティモールで考慮している迅速かつ大胆な行動には反対しない。考えは了解している」と明言。「重要なのは速く成功することだ」と指摘しつつ、「大事なのは我々2人がジャカルタ時間の午後2時にインドネシアを離れるまで行動開始を待つことだ」と念押ししたという。
米国は当時、インドネシアに対し対地攻撃機や自動小銃など大量の武器を供与、国内治安保持や国防目的の条件を付けていた。機密文書によると、キッシンジャー氏はスハルト氏に、「東ティモールでの行動は、外国での作戦でなく、国防にかかわる措置と米国は理解する」と述べたという。
キッシンジャー氏は95年、東ティモール侵攻を事前に承知していたかとの米マスコミの質問に対し、「首脳会談では話題にならなかった。軍事作戦を知らされたのは、インドネシアを離れる空港にいた時だった」などと説明している。
公開された外交文書によると、フォード氏は75年7月ごろにもスハルト氏と電話会談、インドネシア大統領はこの際にも東ティモール問題に触れ、「独立国家になることは現実的ではない。インドネシアが併合するのが唯一の方策だ」などと説明、米国の同意を間接的に求めたという。