ダブヤ政権の性格を理解するうえで、役にたつのではないか、と思われる「米国のマッチョイズム(イタリア語でマチズモ)について触れます。
一種の人造国家である米国内には、色々な政治・社会潮流がぶつかり合っており、歴史が浅く、歴史の重圧が弱いだけに、逆にぶつかり合いは激烈です。そのひとつが「反知性主義、男性優位、肉体優位のマッチョ主義」です。イデオロギーの精緻さで勝負しているわけではないので、理論家はいませんが、テキサスや南部では、支配的な「物の考え方」です。
その特徴は@ニューヨークやロサンゼルスなどの大都市文化への激しい嫌悪Aアイビーリーグなどのインテリ憎悪Bフェミニズム、ゲイ・レスビアンへの憎悪C女性エクゼクティブ、キャリアウーマン、インテリ女性への嫌悪D非白人嫌い――なとです。「話がつかなければ決闘しよう」といった西部劇時代、カウボーイの伝統をひいている男性優位、単純志向の風潮ですが、根強いものがあります。小生は、ブッシュパパの政権後半からクリントンの1期目にかけて米国に居住していましたが、ロサンゼルスでもFM放送のディスクジョッキーで最もよく取り上げていたのは「ヒラリークリントンをコケにするおしゃべり」でした。いわく「ヒラリーはレズだ」「不感症だ」「娘のチェルシーは人工授精児」といったたぐいです。エール大学卒のキャリア弁護士出身のファーストレティに、いかに、反発があるのかを知って驚いたものです。スタローンやシュワルツネッガーの映画が受けるのも、「理屈より不死身の肉体で不屈に闘う」というマッチョ主義が感じられるからでしょう。ナチスのアーリア人崇拝とも似たところがあります。
このマッチョ主義の本場はテキサスです。テキサスはご存知の通り、18世紀には、40年ほど独立共和国だったことがあり、米国各州の中でもユニークな歴史を持っています。「ローンスター」がシンボルで、また、あらゆる名所に「全米一の」というキャッチフレーズをつけたがり、東部のインテリに嘲笑されています。
ダブヤはもともとはコネチカットなど東部の出身で、メイン州のケネバンクスポートには、今も別荘がありますが、ダブヤ自身はテキサスっ子でしょう。粗野で、複雑な議論を好まず、全てを単純化したい、というのは(そういえば小泉もきわめてシンプルな頭らしいですが)テキサス的マッチョイズムの影響もあるかも知れません。ダブヤよりは、はるかに狡猾そうなラムズフェルド当たりでも「これだけの、世界に比類なき軍事力を持つ米国が、なぜ、いちいちアフガンだのソマリアだの、パレスチナだの近代国家の体をなしていない国に気を使う必要があるのだ」などと言っているようです。イスラエルの右派も「我々は、その気になればパレスチナ住民を何度でも皆殺しにできるだけの軍事力を有している。それを使わないで自制していることをもっと評価してもらいたい」などと「神をも恐れぬ不遜なこと」を言っているようです。どうやら世界は、また、一種の野蛮主義というか、ブルータリズム時代に突入したようです。中国あたりにもっと急ピッチで力をつけてもらって、米国への抑止力になってもらうしかないのでしようか。しかし、「ブッシュやチェイニー、ラムズフェルドも嫌だが、江沢民や胡錦涛にのさばられるのも嫌だ」という声も強いようです。機軸国家になれない「敗戦帝国主義」のわが国は、しかし、巨大国家のバランスオブパワーゲームの間隙を縫っていくしか、当面はないでしょう。悲しいことですが。