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残骸の中の凄惨な戦争犯罪の証拠:ジェニンからの報告(インディペンデント紙) 投稿者 dembo 日時 2002 年 4 月 20 日 16:15:06:


残骸の中の凄惨な戦争犯罪の証拠

ジェニンからの報告
フィル・リーヴス
2002年4月16日

この2週間、イスラエルが隠し通そうとしてきた途方もない戦争犯罪が、つい
に明らかになった。昨日、私たち(インディペンデント紙)はようやくジェニ
ン難民キャンプに入ることができたのだが、キャンプの中心部はイスラエル軍
によって破壊しつくされていた。その残骸の中で、まだ数千人の人々が生活を
続けている。

幅500メートルほどの、16万平方メートルに及ぶキャンプの居住区が塵灰に帰
し、瓦礫はブルドーザーで集められて、10メートルもの高さに積み上げられて
いる。いたるところに漂っている、腐っていく死体の甘ったるい不快な臭い。
それは、この瓦礫の山が人間の墓であることの証(あかし)だ。これまで、ロ
ケット弾が撃ち込まれる中で、それぞれの家の小さな地下室に身を寄せ合って
毎日を過ごしてきた人たちは、塵灰の下、戦車とブルドーザーの軌跡が縦横に
入り乱れた一面の瓦礫の下には、まだ何百もの死体が埋まっていると語ってい
る。

近くの焼けただれた半壊の建物の中に、爆撃で吹き飛ばされたひとりの男性の
死体があった。タータンチェックのひざかけがかけられていた。もうひとつの
建物の中で、私たちは、23歳のアシュラフ・アブー・ヘジャールの遺体を発見
した。火に焼かれて真っ黒になった部屋の残骸の中――ロケット弾の直撃を受
けたのち、部屋全体が彼の上になだれ落ちてきたのだ。23歳の若者の頭は小さ
く縮み、黒ずんでいた。3つめの建物の中には、死んでからかなりの時間がた
つ5人の男性の遺体が、毛布をかけられて並べられていた。

私たちは、カマル・アニスという、悲痛な表情の寡黙な若者に先導されて、荒
れ果てた一帯を歩いていった。あちらこちらに、これまで人々の生活を形作っ
ていた物の断片――フォームラバーのマットレス、切れぎれになった衣類、
靴、ブリキの缶、子供のおもちゃ――が散乱していた。若者が突然、立ち止
まった。目の前を指差して、ここが死体をひとまとめに埋めた場所です、と
言った。

私たちは瓦礫の塚を見つめた。若者は言った――ぼくはこの目で見ました。イ
スラエル軍の兵士が、30人の死体を半壊した家の中に積み上げていって、その
作業が終わると、家をブルドーザーで壊し、そのまま死体をその下に埋めてし
まったのです。そのあとは、戦車が地面を平らにしていきました。ここがその
場所です、と。私たちには死体は見えなかった。しかし、死臭はまぎれもない
ものだった。

数日前であれば、カマル・アニスの言葉が真実であるとは思わなかったかもし
れない。しかし、ジェニン・キャンプから逃れてきた多くの難民たちが聞かせ
てくれた話は、むしろ控えめと言っていいものであり、決して、多くの人が受
けとめたように、そして、イスラエルが私たちに何とか信じさせようとしたよ
うに、誇張ではなかったのだ。そうした話にもかかわらず、私は、昨日、この
目で、これだけのものを見ることになろうとは考えていなかった。今、私は、
これまでに聞いたすべての話が真実だと考えている。

2週間前まで、ハナト・アル−ハワシムと呼ばれるこの一帯には、数百の家が
ぎっしりと建ち並んでいた。もはや、それらは存在していない。

完全に破壊された中心部の周辺には、半壊した家が何百と連なっている。1948
年の戦争以来、15000人のパレスチナ難民の家であったキャンプの大部分が、
今、崩れ去ろうとしている。無数の銃弾と榴散弾の跡がうがたれ、半ば瓦解し
ている壁また壁。キャンプ上空でホヴァリングするコブラ・ヘリとアパッチ・
ヘリによってなされた、恐るべき無作為爆撃の威力(ランダム・ファイアパ
ワー)の証左だ。

次々に破壊されていった建物から、安物の家具やマットレス、白いプラスチッ
クの椅子が路上に吐き出されていた。ふたつにひとつの建物に、ヘリコプター
・ミサイルが直撃したことを示す巨大な焼けこげた跡が印されている。昨晩、
この残骸の中にはまだ、多くの家族と泣いている子供たちが、人道的援助の手
も絶たれたまま、取り残されていた。不気味なことに、私たちが到着するほん
の1時間前に、ひとりの男性が瓦礫の下から救出されたという報告はあったも
のの、怪我人の姿はひとりとして見かけることがなかった。

キャンプから逃げ出さなかった者、イスラエル軍に拘留されなかった者は、爆
撃が続く間、恐怖の時を1日また1日と耐えながら、地下室で過ごした。壁を
破壊して入ってきたイスラエル軍の兵士たちによって、無理やり家の中の1室
に追い込まれた人たちもいた。国連によれば、キャンプの15000人の住人のう
ち、約半数が18歳以下の子供だという。この殺戮の地を夜の静けさが包むこ
ろ、不意に、子供たちの話し声が私たちの耳に届いてきた。以前には、祈りの
時間ともなると騒々しいまでの喧騒にあふれていたモスクは、静まり返ったま
まだった。

昨日の段階でもなお、イスラエルは、こうしたシーンを隠そうとしつづけてい
た。ジュネーヴ協定を踏みにじり、ほぼ1週間にわたって赤十字の救急車が
キャンプ内に入ることを拒否してきたイスラエルは、昨日も私たちを何とか中
に入れまいとしていた。

占領されたヨルダン川西岸地区の北の端に位置し、この2週間、「閉鎖された
軍事ゾーン」の状態にあったジェニンはぐるりと、メルカヴァ戦車と軍のパト
ロール・ジープ、人員搬送用装甲車に取り囲まれていた。中に入ろうと試みて
つかまったレポーターたちが、兵士に付き添われて次々に連れ出されてきた。
1日前に、イスラエル軍は、外部の人間向けに整備した区域を見せるために、
数人のジャーナリストを選んで中に入れていた。私たちはシンプルに草地を横
切り、2台のイスラエル軍の戦車に監視されたオリーヴの果樹園を走り抜け、
そうしてキャンプ本体に入った。

私たちは、家々の窓辺で合図をする手に導かれていった。姿は見せない人たち
のささやき声の指示に従って、彼らが安全だと考える狭い路地を抜けていっ
た。兵士たちがいる場所に来ると、警告の指がかかげられ、また、こちらには
来るなというふうに、誰かの手が示した。こうして、私たちは、このキャンプ
に何が起こったのかを語りたいと切望している人たちがいるところに到達し
た。彼らは処刑のことを、また、人が中にいるまま家を押しつぶしていくブル
ドーザーのことを語った。「これはアリエル・シャロンがやっている大量殺人
です」と、43歳のジャメル・サレーは言った。「今では、私たちは、イスラエ
ルに対して、以前よりも強い憎しみを感じるようになっています。この子を見
てください」そう言って、サレーは、幼い男の子のくしゃくしゃの髪に手を置
いた。8歳になるモハメドという子で、友人の息子だということだった。「こ
の子は、忌まわしい出来事を何もかも見てしまったんです。このすべてを、こ
れからもずっと忘れることはないでしょう」ジェニン難民キャンプの恐怖を目
撃した、ほかのすべての人も同様に、それは生涯忘れられないことに違いな
い。パレスチナ人で、昨日、キャンプに入った者は、ほとんど言葉を失ってい
た。

パレスチナ・エネルギー局の職員で、送電線を修復しようとやってきたラジブ
・アーベドは、怒りとショックのあまり、身を震わせながらこう語った。「こ
れは大量殺人です。何か役に立てることはないかと思って来たのですが、すさ
まじい破壊の跡以外には何も見つかりませんでした。あなた自身の目で見てく
ださい」すべての人が同じメッセージを語った――どうか、この状況を世界に
伝えてほしい、と。

Amid the ruins of Jenin, the grisly evidence of a war crime
Phil Reeves in Jenin
16 April 2002

Fuul article at:
http://news.independent.co.uk/world/middle_east/story.jsp?story=285413


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