このところ、マイナーなというか、トリビアルな投稿ばかりしていたので、今回は少し、世界史的視点からの主張(笑)を。
大した哲学ではないが、歴史も「フリ子の法則」で動く面があるのは事実だろう。右にゆれ、その反動で左に揺れ返し、ラセン型に進んでいく、というわけだ。WTCアタックのショックで現在は世界は、暴力一色に染まっており、さらに混沌状態が深まるだろうが、いずれ終息するだろう。イスラエルにしても、パレスチナ住民を皆殺しにはできないのだから。
WTCアタックの「揺れ戻し」はどういう形になるのか。過去の歴史的事件から類推してみよう。
1963年にケネディが暗殺され、65年にフルシチョフが失脚するが、この原因のひとつ、恐らくは最大の原因は「キューバ危機」だ。アメリカのイジメに頭に来たカストロがソ連寄りになり、一方、スプートニクの打ち上げなどで、社会主義の優位性に自信満々だったフルシチョフは、キューバに核ミサイルを持ち込もうとする。カストロがソ連製ミサイルを持ち込ませよう、としたのは、もちろん、ビッグス湾侵攻作戦で、米国の凶暴さに呆れ果てたせいでもある。そして有名な(ケビンコスナーが映画にもした)「13日間」の緊張が続いたが、フルシチョフが折れて、世界核戦争は回避された。この瀬戸際政策の失敗が、ブレジネフらがフルシチョフを追い落としたクーデタの大きな要員だった。ケネディ暗殺はもちろん、真相があきらかではないので、キューバ危機との関係も公式にははっきりしないが、ビッグス湾事件で支援兵力の動員を拒んだケネディをうらんだCIAの不満分子や反カストロ派がからんでいるのではないか、とは事件直後から言われているし、オズワルド自身がカストロ支援のビラをニューオーリンズでばらまく一方、カストロ打倒運動をしていたガイ・バニスターやディビッド・フェリーらとも付き合う、という謎めいた行動を取っている。また、未だに、ニセ者(CIAの大物工作員のフィルプスか)といわれているメキシコシテティのソ連大使館に現れたオズワルド(と称する男)は、キューバ入国のビザを求めていた。つまり、キューバ危機のような大トラブルは、結局、当時の両大国の指導者の失脚に帰結した、と言えるだろう。
また、ソ連崩壊の原因はいろいろ指摘されており、フルシチョフがキューバ危機で失脚し、官僚そのもののブレジネフが権力を握ったことも、広い意味で言えば、ソ連崩壊のきっかけとも言えるだろうが、小生は実は、イラン革命とテヘランのアメリカ大使館人質事件が最大のきっかけだった、と思っています。この事件の発生を防げず、また、人質救出に失敗したカーターは、ダブヤに似たガサツなレーガンに取って代わられ、レーガンの対ソ軍拡路線の重圧で、ソ連が崩壊過程に入るわけです。しかも、レーガンのブレーンだったスコウクロフトやケーシーらは、大統領選挙前に人質が開放されないようホメイニ政権と裏取引していたことがのちに明らかになり、「イランコントラ事件」の萌芽が生じています.
従って、WTCアタックも、ダブヤ政権にいずれ、かなり強力な「反作用」をいずれもたらすことは必至でしょう。先日、ニューヨークから来日した民主党支持の金融ビジネスマンは「クリントン政権が8年かけてためた金をダブヤは4年間で、テキサスあたりの軍事・石油産業にバラまき、また、大赤字を作って退任(トンズラ)するのだろう。考えてみれば、ブッシュ政権というのは、一種のクーデタだったとも言えるな。自分で勝手に”勝った”と言ってホワイトハウスを”占拠”したみたいなものだからな」と言っていました。この辺が、東部金融資本の”本音”なのでしょうか。まあ、ダブヤ君の未来は波乱万丈、決して平坦ではないでしょう。