http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20020415301.html
自律型知能ロボット部隊の実現に向けて(1)
Michael Behar
2002年4月12日 2:00am PDT 臨戦態勢を整えたロボットたちが、実験室から飛び出して、危険地帯へと進んでいく。
海兵隊中佐だったジョン・ブリッチ氏(43歳)は2001年秋に退役となり、同年9月10日の朝(米国時間)、米国防総省ビルのオフィスの一角で、退役手続きのペーパーワークに追われていた。米国防総省の『戦術的移動ロボット』(TMR)計画の指揮をとって3年、その間ブリッチ氏は、学術機関や企業など数多くのロボット研究事業に対する資金提供を実現してきた。研究目標は、危険地帯で人間の兵士や救助隊員に代わって作業するロボットを作ることだ。元特殊部隊将校で筋骨逞しいブリッチ氏は、退役後、防衛関係の技術系企業である米サイエンス・アプリケーションズ・インターナショナル(SAIC)社(コロラド州リトルトン)の『知能ロボティクスおよび無人システム開発センター』(Center for Intelligent Robotics and Unmanned Systems)の指揮をとることになっており、次の日、リトルトンまで2400キロあまりのドライブへと出発する予定だった。
だが、同時多発テロ発生の知らせを受け、ブリッチ氏は予定を変更した。小型トラックの後ろにつないだ平床トレーラーから荷物を全部下ろすと、代わりにTMR――どれもラグビーボール程の大きさ、溝の深いタイヤ付きで、各種センサー類を装備している――を数体積み込んで、ニューヨークを目指した。途中、戦闘服を着込み、軍の身分証を取り出したブリッチ氏は、フロリダからボストンまで各地に散る仲間たちに携帯電話で連絡を取り、手元にある最高性能のTMRを持って、世界貿易センター・ツインタワー倒壊現場――グランドゼロ――で落ち合うように召集をかけた。ブリッチ氏はそのときのことをこう語る。「現場に到着するまでに、検問所を32も通過した。みんな不思議そうだった。『大学院生の一団とロボットを引き連れて走り回っている、あの迷彩服の男は何者だ?』とね」
それからの11日間、ブリッチ氏らが持ち寄った17体のロボットは、人間には狭すぎて入れないスペースに潜り込み、焼け付く瓦礫の山を掘り、ねじれた鉄骨やコンクリート塊の下に埋まっていた7遺体を発見した。人間の救援隊が見つけた252体と比べれば、数はわずかかもしれないが、ロボットでの捜索成功のニュースにメディアが飛びつき、絶賛の嵐になった(『ニューヨーク・タイムズ』紙は「危険の中で機敏な動き、ロボットの本領発揮」と報じ、『ヒューストン・クロニクル』紙は「人間が恐怖で入れない場所でロボットが大活躍」と伝えた)。こうしたマスコミ報道のおかげで、ブリッチ氏は、規則に違反したうえ本来使えない身分証を使った(厳密にいうと、ブリッチ氏はこのときすでに退役していた)にもかかわらず、責任を追及されずにすんだ。
もっと大切なことは、「人間の兵士にはできないこと、あるいはしたがらないことを代わりにするロボットを作る」というブリッチ氏の壮大な夢が実現可能だと証明されたことだ。今回の場合、ロボットは捜索・救助に使われたが、実世界でのテストがうまくいったことで、偵察活動や実戦などあらゆる戦闘行為に使える多目的ロボット兵士の開発に向け、研究者の意欲は一層掻きたてられた。
ロボット工学研究は約半世紀をかけて少しずつ前進してきたが、TMRの開発はかなり最近のものだ。米国防総省の国防高等研究計画庁(DARPA)は、元カーネギー・メロン大学所属のロボット工学の研究者で惑星探査車の専門家であるエリック・クロトコフ氏の指揮の下、1997年にTMR計画を開始した。クロトコフ氏は、予算5000万ドルの5ヵ年計画推進のため、まず企業や研究機関など10の事業体と契約を交わした。その翌年、クロトコフ氏から仕事を引き継いだブリッチ氏は、主要プロジェクト25件と小規模なプロジェクト10数件に資金を提供した。結果として、43のプロトタイプが作成され、18の全く新しいロボットが誕生した。
(4/16に続く)
[日本語版:藤原聡美/小林理子]