(回答先: Re: 「殺人テロ」より「自爆殺人テロ」や「自爆傷害テロ」のほうが的確 投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2002 年 4 月 13 日 16:37:34)
FP親衛隊国家保安本部殿、こんばんわ。
たいしたことではないのですが、少し食い違いがあるようなのでレスします。
>「自爆」に対する感覚は日本人と西欧文明とでは大きく異なることを考えないといけ
>ないですね。
元の書き込みでも書いたように「自殺」に関する受け止め方はだいぶ異なると思っていますが、「自爆」に対してはそれほど変わらないと思っています。
>日本人にとって不祥事を起こした会社の社員が会社を守るために自殺したり、国会議
>員の秘書が自殺して親分を守る、というのはむしろ組織人として美談として強制され
>かねない雰囲気があります。
そう思いますが、「自爆テロ」とはそれほどのつながりがある話だとは思いません。
>あと同胞のために命を捨てる「特攻」という行為は、西欧の合理主義的思考では理解
>の外にあるものと考えてさしつかえないでしょう。
あの時点から敗北しないもしくは敗北を遅らせるための戦法として考えられた「特攻」は、西欧に限らず、特攻隊自身や日本軍上層部の少なからぬ人たちも、合理的なものではないと考えました。
(勝算なく対米戦争に踏み出した支配層ですから元々合理性はあまりないと言えますが、敗北(降伏)を進言できない、なんとか一矢を報いたい、敗北を引き延ばせば“神風”が吹くかもしれないなどの考えが大勢を占めた結果行われたのでしょう)
命中率を上げるために航空機や搭乗員を“捨てる”という戦法は、航空機の生産や搭乗員の養成が敵の攻撃力強化を上回るペースで実現できなければ、自滅の道であるだけではなく、犠牲者をいたずらに増やすだけのものです。
しかし、米軍司令官の多くがその非合理性を嘲笑したとしても、兵士たちは、自分の命を捨てて飛び込んでくる「特攻」に、恐怖心を抱くとともに畏敬の念を抱いたのです。
米軍兵士たちは、「特攻」を自殺とは考えず、命知らずの果敢な攻撃と考え、自問自答したでしょう。「自分ならやるか(やれるか)」と自問し、「やる」と考えたり、「やれない」と考えたと思います。
これは、宗教や文化を超えて戦士が持つ共通の価値観だとも言えるでしょう。
ブッシュ政権は、「自殺爆破テロ」が、自殺ではなく攻撃のほうに重みをもって受け止められ、なぜ彼らがそうするのかと考えられることを忌避したいのだと思います。
それで、「自殺爆破」ではなく「殺人」と表現することで、犯罪性を強調したいのでしょう。
(「自殺爆破」を「殺人」にすると、ブッシュ政権が米軍に行わせてきたことも「殺人」と意識させてしまうことになるのですが、そこまでは頭が回らなかったのでしょう)
FP親衛隊国家保安本部殿は、ブッシュ政権の呼称変更がどういう理由で行われたと思われますか?
また、西欧は合理主義で満ちているわけでもありません。
それは、ヒットしている映画・読み物・ゲームなどを見ればわかることです。
>最近欧州で「安楽死」が問題になっていますが、安楽死を推進する連中の理屈にした
>ところで、生き続けることによって得られる喜びと苦痛を秤りにかけた浅薄なものに
>すぎません。
「安楽死」は、合理主義に照らせば理解できるものですが、言われるように「浅薄な」判断だと思います。
「安楽死」は、合法であったとしても、罪を問われない殺人に他なりません。
延命装置の使用を拒否することは正当な権利だと思いますが、ひとを殺人者にして自分の苦痛を終わらせる権利を国家が認めるのはまともだと思えません。
自殺ができるのであれば自殺を選択すればいいし、苦痛を緩和するのであれば麻薬の使用もいいと思います。
また、配偶者など家族が苦しむ姿を見続けいたたまれなくなって殺してあげることに同意したら、苦しみを終わらせてあげた代償として罪に問われるのが筋でしょう。
国家が、その人にどういう罰を与えるかは別として...
なんであれ、人を殺すことを正当な行為にしてはいかんと思っています。