【アーメダバード(インド西部)薄木秀夫】インドのヒンズー、イスラム両教徒による宗教暴動はグジャラート州各地に広がり、7日までに死者約600人に達した。少数派のイスラム教徒への報復は計画的な「狙い撃ち」をうかがわせる。州最大都市アメーダバードで「虐殺の地」となった地区を訪れ、被害者、警察、住民の証言から事件を検証した。
旧市街のグルバーグ地区には約30世帯約120人のイスラム教徒が住んでいた。周囲には鉄条網付きの壁がある。
異変発生は、列車放火事件の翌日の2月28日午前9時半ごろ。「暴徒が押しかけてくる」との情報が伝わり、隣接するヒンズー教徒の商店は一斉にシャッターを下ろした。近くのイスラム教徒が「安全」とされていた同地区に避難し始めた。
1時間後、約100人が投石を開始。午後1時ごろ地区入り口の門が壊され、約150人が進入。これを合い図のように群衆が集まった。警官配置は同1時半。だが、暴徒は2カ所で壁を壊し再乱入、2時間以上家屋を焼き打ちにした。警察当局は「暴徒は2万人以上になり、乱入を防げなかった」と説明する。
事態収束は同4時半。隠れていた約150人は警察のバスで避難し、33人の遺体が発見された。
州当局は襲撃を「偶発的惨事」と言うが、「計画性」が随所にのぞく。
生き延びた男性(40)は「列車放火事件の当日は何事もなく、ヒンズー教徒の店で買い物をした。翌朝、”襲撃”の情報が突然流され、群衆が集まったのは不自然だ」。雑貨店を営むヒンズー教徒は「来襲情報で店を閉めると人が集まってきた。知らない顔ばかりだった」と証言する。
警察の対応も不可解だ。住民の一人は「来襲情報があった直後、警察に電話し、警備を再三要請した」と話す。
目撃者の話を総合すると、来襲情報▽近隣のイスラム教徒が避難▽ヒンズー教徒の商店閉店――の完了時点で襲撃が始まった。壁は厚さ30センチ以上で器具の準備が必要だ。襲撃の際には脱出させない「包囲網」が作られた。「偶発性」には疑問点が多い。
暴動の発端となった列車放火事件の死傷者は、連立与党インド人民党の関連組織に属するヒンズー至上主義者で、ヒンズー寺院再建を求める集会から帰る途中だった。寺院はモスク(イスラム礼拝堂)の破壊跡に建設される計画だった。イスラム教徒の長老は「寺院の早期建設のためにイスラム教徒をたたいておく、という意思が感じられる」と指摘する。(毎日新聞)
[3月7日21時22分更新]