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(回答先: Re: 朝鮮半島を見捨てた日本は偉そうなことを言えない 投稿者 山幸彦 日時 2002 年 9 月 20 日 10:01:59)
山幸彦さん、こんにちわ。
私が主張しているのは、日本領土であった朝鮮半島を無責任なかたちで放棄した「敗戦」をきちんと反省しないまま、朝鮮半島に存在する二つの国家の政府や国民の対日言動に対して、日本統治の“合法性”や“素晴らしさ”を言い募って対抗してみても正当性はないというものです。
日本統治時代の朝半島政策は、歴史も異なり帰属意識も異なる国民が生活している領域をどう統治すべきかという問題です。
日本が朝鮮半島を支配していた時代の政策は、“近代的枠組み”では内政ということになり、巧い政策だったのかそれとも下手な政策だったのか、朝鮮半島由来国民を尊重した政策だったのかそれとも日本列島由来国民を尊重したものだったのかなど、別の視点で検討すべきものだと考えています。
ご紹介していただいた論文は、稚拙な言い訳と正当化に終始しています。
様々な書籍を引用していますが、それらも含めて、主体的視点のなさやご都合主義的な朝鮮史との比較など、「敗戦責任」をまったく自覚していない恥ずべき言説だと思います。
(ご都合主義的な朝鮮史の持ち込みは、同じ事項を日本史に適用してみたらいかがですかと言っておきます)
政策の妥当性を云々するものでもなく、簡単な批評になりますが...
● 「大東亜戦争」時代のハングル禁止政策
これに対して、朝鮮では漢文が優位でハングルは婦人・子供・下層階級が使用していたものでありハングルは蔑ろにされていたとか、朝鮮支配者も統治手法として利用していたものだということを根拠として正当化できるものではありません。
● 歴史教育
朝鮮の歴史学はなきに等しい状況であったことを強調していますが、併合した日本政府が、保管されていた歴史文書を、かき集めて日本に持ち帰ったり、焼いたりしたことは歴史的事実です。
古代から緊密な関係があった朝鮮の歴史文書には日本の歴史に直接関わるものもあり、その対応を誤るとそれまで日本で教えてきた日本史の合理性に抵触することを恐れました。
(論文でも焚書坑儒を認め、それを一方的に「ただの作文にすぎない」ものだったという引用を載せていますが、そのように言うのなら、「日本書紀もただの作文にすぎない」と言えます)
朝鮮の学問状況も貶めていますが、江戸時代の朱子学は朝鮮経由であり、朝鮮が中国を拠り所に学問を行っていたとしたら、日本はその朝鮮を拠り所に学問を行っていたとも言えます。
● 創氏改名
「NOと言える教科書」のように名前で区別が付かないようにした“親切”な政策であるという正当化言説には反吐が出ます。
親切であったのかイヤなことであったのか便利なものであったのかは、そのような半強制的な創氏改名を押し付けられた人々に判断してもらえばいいことです。
(これからも日本統治は“永遠”に続くと考え、もともと外見は似ているわけですから、生活上、名前も日本風にしたほうがいいと思った人たちはいるでしょう)
同じ姓を持つ男女が結婚しないという習慣や法的規制はことさら珍しいことではなく、「魏志倭人伝」でも倭(日本)はそうだと書かれています。それを、近代化された日本的価値観に基づき“悲劇”のように説明するのは愚かなことです。
また、李氏朝鮮時代や古代を引き合いに出すのも、日本の歴史を顧みない一方的な正当化手法です。(漢字そのものが中国由来です。日本でも、女性が“父親氏の女”という名乗り方をしていました)
● 神社参拝の強制
李氏朝鮮のカソリック弾圧を引き合いに出しても仕方がないでしょう。
(歴史比較であれば、江戸幕府のキリシタン禁止令を持ち出すことになります)