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(回答先: 死亡権大反対!! 投稿者 石屋 日時 2002 年 9 月 14 日 22:41:30)
阿修羅当初の趣向をすっかり忘れていました。すみません。例の世界で有名な『悪の秘密結社団体』の事を蔑ろにしてはいけなかったですね。今朝は、仮面ライダーの放送はあったのでしょうか?
つまり、個々の意見をまとめれば、人生の意義と言う物を見いだせないので死亡権を与えろという事です。
まだ、フランスの事については分からない事が多いのですが、石屋さんゆかりのフランスでは、『人生』という物には真剣です。フランス人というのは、愛にしろ、生活の質にしろ、ビジネスにしても、人間性についてにしろ、なにかにつけて、『人生』と言うものについて、四六時中真剣に考えているようです。そう言う物が積み重なってできているのが、悪い事にしても良い事にしても、それがフランス。
たとえば、日本で近所をウロウロと徘徊していると、ただの変質者か犯罪者にしかみられません。パリでは、前の2つに加えて、町の徘徊は立派な余暇の過ごし方です。町や人の生活の造りがそうなっているので。これは小さな例ですが、かといって決して海外の習慣を真似すればいいと言っているのかと言えばそうでは無い。フランス人は、様々な日本文化をうまく自国風にアレンジして取り入れていますが、日本ではどうでしょうか。
前向きな考えですが、もうすこし、生活の質について考えていけば、大半の諸処の問題は解決するのではないかと言う事です。こう言う事は、金や力で解決する事ではない。まずは、大前提として、各個人に自由が与えられ、且つ各個人が自由に考えられる環境を整えなければいけない。また、熟成するまでには時間がかかる。経済の安定は非常に大事ですが、経済がいくら良くなってもこういう問題は絶対に解決されないと思っています。これから考えると、金と権力にまみれながらも『経済大国』から『生活大国』への転換をめざす、良心が時折見え隠れする日本の事が少しは理解できるのではないのでしょうか。
魂と身体の問題について。
生と死は常に綱引きをしていると考えています。生きたいという本能は、『生』の原点だとすれば、我々の身体は常に半分腐りながら生きている様な物で、常に半分死んでいる状態で生活していると言えると思います。なので、身体を『死』の原点だとします。
普段は、意識する事も無い『死』も、死に近くなれば、非常に敏感になります。そう言う時には何故か、死の境界線みたいな物が本能的に分かるようになります。これは、生と死の決定が、完全に本人の手に委ねられている稀なる瞬間です。つまり、気の持ち様により、身体を生に戻す事も死に追いやる事もできると言う事です。身体がすでに回復の見込みが無い程の状態である場合、この状態になった事は無いので推測でですが、恐らく、生への帰還が不可能な事を察知するでしょうし、無論臨死で死を免れても、身体がどう言う状態であるのか意識がはっきりする迄分かりません。死後の事は知らないので分かりませんが。
死について、もう少し突き詰めれば『禅』とかの話になると思いますが、オフトピックですし、どなたか詳しい方に、『禅』についてのスレッドをリクエストします。
追記:上記の魂と身体の問題で述べた様な理由で、人間を家畜の様に完全に管理できたとしても、生きる気力を維持できない場合には人間を長々と飼育できるかには疑問が有ります。