「1992年夏から秋の相場と似ている」―2月から3月半ばにかけての株価急反騰と、その後の“もたつき”相場をとらえて、兜町にこんな見方が広がりはじめている。92年の場合も株価が底打ちから反転したケースだったが、上値が重い「曇天相場」は半年ほど続いた。今回は4月後半からの前3月決算発表をキッカケに、今期業績の好転を織り込む上昇展開を市場関係者は期待しているが、3月危機を回避できたことで「政府はいま緊張感ゼロの状態。これじゃ株価は上にいかない」(大手証券幹部)との声も聞かれだした。
●いらだち募るトレーダー
日経平均は2月6日の9420円から3月11日の1万1919円まで26.5%上昇、そこから完全に“凪(なぎ)”の状態に変わった。3月19日にはそれでも1万1792円まで戻す場面もあったが、以降は1万1000〜1万1400円台の小幅のレンジ内で推移している。
通常、こうした状態は、株価が上にいくか、下に放れるか、どちらかのケースで膠着(こうちゃく)状態が破られる。「もうそろそろ上放れてもいいのに」―準大手証券のトレーダーは前週来、口癖のようにこうつぶやく。
そんな声に冷水を浴びせるように、最近、兜町で浮上しているのが「92年相場との酷似説」だ。ちょうど10年前の92年は、昨年夏場から今年2月にかけての暴落相場をはるかに上回る激震相場が続いた。その前年の91年11月5日に宮沢喜一内閣が発足。大蔵省出身で経済通と言われていた宮沢に対して当初、株式市場の評価はまずまずだった。
しかし、92年3月以降の記録的な株価暴落局面で「株価は上がったり、下がったりしますから」といった調子での「高みの見物」風なコメントで応じる言動に、羽田孜蔵相(当時)ともどもマーケットは「失格者」の烙印を押すようになった。
●似ている反転の軌跡
92年1月から3月中旬にかけて2万円台を巡る攻防を続けていた日経平均は3月16日に2万円を割り込む。戦後初の金融システム不安に揺さぶられたマーケットは興銀、富士銀などの大手銀行株を中心に落勢が止まらず、4月9日には1万6598円まで下落。
5月中旬にかけ1万8800円台までいったん引き戻したが、そこから不況色の拡大もあって再び下落し、8月18日に1万4309円まで暴落した。これが90年代前半の最安値となった。
大手銀行株の暴落、金融システム不安、不況・・・今回と同じような光景だが、底入れからの反転パターンもこれまでのところ似ている。92年は反騰の起爆剤となった大蔵省による市場安定化策「金融行政の当面の運営方針」が発表されたのは8月18日。10日後の8月28日に10兆7000億円規模の総合経済対策も打ち出されたことで、9月10日には1万8908円まで高騰した(8月安値からの上昇率は32.1%)。
●弛緩した政策当局
ところが、そこで92年の戻り相場は止まる。円相場が9月30日には1ドル=118円30銭と戦後最高の水準に上昇するなど新たな不安材料が表面化し、日経平均は11月17日に1万5993円まで下落した(9月高値からの下落率は15.4%)。
その後も92年中はモヤモヤした相場が続き、92年9月の高値を奪回したのは、底入れから半年あまり経った93年3月下旬だった(93年3月末の終値は1万9048円)。経済構造に大きなヒビが入った相場は、そう簡単に修復できないことを証明したケースといえる。
さて、今回はどうか。金融機関の体力も含め、経済状況は10年前に比べ、比較にならないほど脆弱化している。ところが、「株価上昇による安心感から、政策当局が弛緩してしまった感触が濃厚。3月初旬まであれほど強調されたデフレ対策が、いまや『税制改革』に置き換えられたようだ」と外資系証券のアナリストは不満を隠さない。
●1万円すれすれまで下落の公算も
92年夏に証券取引所の1日閉鎖も考えるほどの緊迫した状況にあった宮沢政権も、株価が落ち着くマーケットをにらんだ“次の積極的政策”を打つ動きは消えた。それが翌年8月の「55年体制の崩壊」による細川政権誕生の伏線ともなった。
仮に10年前と似たような株価推移を想定すると、現在の小幅往来相場は近く下ブレして、高値形成から2カ月後の5月半ばに1万円台すれすれまで下落。そこから多少戻しはするが、3月高値奪回は今年9月ごろとなるのだが―さてどうか?
(楠 英司)