懸念されていた(というより期待されていた)3月危機が回避された。危機の種は全く変わっていないので、封印されたと言うほうが妥当であろう。しかし市場のセンチメント(雰囲気)は大きく転換しつつある。株式市場は改革(銀行の抜本的改革、本格的インフレ政策)によってではなく、危機が回避された安ど感により、当面の底を入れ、短期ラリー(回復)に入った可能性が強い。(武者陵司・ドイツ証券 チーフストラテジスト)
センチメントの変化を決定的にしたのは、(1)株価対策による株価レベルの変化で、合理的には起こっていたはずのバランスシート破たんが糊塗(こと)された(2)米国経済の意外な強さ、の2要因である。
株価の持続性は疑問
しかし、相場の質は良くない。日本ではクリーピングデプレッション(緩やかに進む経済恐慌)が進行し循環的景気回復が困難なこと、意味ある改革が全く手付かずなことから、持続性は疑問である。米国でも、バブルが十分破裂しきっていず、株価の歴史的割高さが変わっていない。
加えて、政策支援による異常な景気拡大持続で、過剰(供給力、信用、株価評価など)の調整が進むどころか、過剰の蓄積がさらに進むといった状況である。ただただ、短期視野に支配された経済センチメントが、楽観方向に傾いている。それは将来の困難を大きくする。
長期下落相場の中での回復局面
意外にも米国は2002年も景気後退(リセッション)に入っていず、長期経済拡大が続いていることが明らかとなったが、その分2003年以降の経済の姿がアグリー(醜悪)となる。こうしたことから、日本で長期下落相場が終焉(しゅうえん)したとは到底見ることが出来ないし、米国のバブル破裂後の下落相場が終焉したとも考え難い。
日米ともに、長期下落相場の中で、強気の回復局面を「赤信号皆で渡れば怖くない」といわんばかりに楽しむこととなろう。「景気回復期待」を口実に、一定のレンジ内で推移するトレーディング相場である。
日本の経済危機の焦点が株式市場にあることが明確となった。株価さえ維持できれば、銀行のバランスシートは糊塗され、健全性を装うことができる。株価安定は、市場が健全性を認めている表れと受け取られる。3月末の株価対策成功は、それを如実に示した。
米国でも株価維持政策で問題先送り
米国の場合も、株価維持が政策の究極の目的になりつつあると推察される。高すぎる株価、異常な経済心理の高揚は持続不能で、抑制されなければならない。しかしインフレリスクが皆無の状況下で、差し迫った利上げの必要性もない。
むしろ、利上げは株価下落・長期金利上昇をもたらし、不良債権の増加・企業破たん増加から資産価格のスパイラル的下落をもたらす。グリーンスパンFRB(米連邦準備理事会)議長が最も回避したいと思っている、不況深化のプロセスである。
つまり日米ともに、株価維持を目的とした、問題先送りの経済政策が当分続く可能性が強いのである。過剰流動性を前提とするトレーディング相場である。
日米株式市場はマネーゲームの場に
米国で進行するデフレ、ディスインフレは(1)物価下落による実質購買力の上昇、消費の下支え(2)金利低下、過剰流動性の増加、により絶妙の相場安定化効果をもたらし続けるであろう。その米国の過剰流動性安定相場は、日本の株式市場をも安定化させる。
日米の株式市場は、しばしファンダメンタルズを離れ、需給とモメンタム(成り行き)に支配されたマネーゲームの場となりそうである。「郷に入っては郷に従え」――相場がケインズの言う「美人投票」に執心する時には、我を捨てて多数につくしかないのではないか。
改革推進に生かすべきだった3月危機
後の祭りではあるが、3月危機はむしろ必要であった。株価の急落を起点とする危機意識の高まりこそが、唯一、銀行の部分的・一時国有化や本格的インフレ政策など、改革行動へのコンセンサス形成を可能にしたはずだからである。小泉政権は危機の回避を図るのではなく、危機をむしろ甘受するべきであった。危機を味方として、改革を推し進めるべきであった。
国際社会の中で日本人の知性が疑われ、軽んじられ始めている。知性とは、将来などまだ実現していないものを予知し行動する能力であるが、今の日本人にはそれが決定的に欠けていると思われている。今日と同じ明日を迎えられないことが明らかなのに、それを認めようとはしない。
当面は顕在化しないデフレの弊害
3月危機はそうした見方を否定し、知性による行動を示す最後のチャンスであった。3月末まではペイオフが凍結されており、預金が100%保護されている。ペイオフ凍結を名目に、銀行のあらゆる債務が事実上守られている。政府をアンカーとする堅固な信用体系である。現実の危機は起きていないのである。
また、デフレが進行しているが、その弊害もまだ、表面化していない。物価下落は実質購買力の増加を意味するので、当面は国民にとってポジティブに見える。デフレの弊害はそれが、企業収益の悪化、雇用削減、賃金引き下げに帰結してはじめて、耐えがたいものとなるが、それまでしばし時間がかかる。
制御不能の経済破たんが起きる前に
3月危機とは、信用の崩壊や生活水準の低下などの形で、現実の経済破たんが起きていると言うことではなく、人間の理性による推論・予測の産物であった。つまり、現実の経済崩落ではなく、人々の頭で認識される、将来の経済崩落に対する警戒であったと言える。
しかし、危機が封印された以上、知性による予測によって痛みを伴う改革を推進するきっかけが失われた。制御不能の経済破たんが起きてしまってから、事後的に対応するしかないとしたら、痛みも海外からの日本の評価も一層厳しいものになるだろう。株価対策(PKO)による3月末の株高誘導は短期成功、だが長期では禍根を残すものとなるかもしれない