このところ、あたかも3月危機を乗り切って、不良債権問題が終わったかのような報道が重ねられている。10年間、同じようにしてツケの先送りが行われてきた。たとえば、「大手行、準国有化を回避」(3月20日付「日本経済新聞」朝刊)だ。2月27日発表の「総合デフレ対策」という名の株価対策によって株価上昇がもたらされたために優先株への配当が維持でき、政府の議決権発生が回避されそうだという内容である。だが、空売り規制の効果は一回きりの効果しかない。いつまで持つのか。仮に、銀行が3月決算を乗り切れても、5月連休明けには決算結果が公表される。数字は悪いはずだ。そうなれば、元の木阿弥だろう。
もし、株価が人為的な高水準を維持できても、公的資金投入のタイミングを失ってしまう。最悪だ。これまでの経過が示すように、ツケの先送りをすればするほど、手の打ちようがなくなるからだ。
ほどほどの株価水準になれば、今度は公的資金投入が問題になる。しかし、その場合でも、公的資金が無事に投入できるかどうか疑わしい。首相が「金融システムが危機であること」を宣言したうえで、個別行にしか投入できないからだ。公的資金が入る銀行が救われる保証はない。むしろ「やはり危ない銀行だったのか」ということになり、金融システム不安の引き金になりかねない。4月以降にペイオフの凍結解除になり、やがて普通預金も対象になる。公的資金の投入をきっかけに、その銀行から預金流出が起きる危険性は十分にある。
仮に、15兆円の公的資金を使って、運よく金融システム危機の発生を防げたとしよう。それでも問題は解決しない。そもそも銀行の不良債権は、危機対応勘定15兆円の公的資金でどうにかなる規模ではないからだ。
再び、厳格な債権査定がないままに、ずるずると公的資金の投入がなされれば、99年3月末に入れた7・5兆円と同じく、国民の税金をドブに捨てる結果となる。つぎの9月か3月かに、その失敗が明らかになるだろう。その時は取り返しがつかない。
実際、金融庁の特別検査がまともに行われる可能性は低い。この間、2月・3月・4月と特別検査の公表が先延ばしにされてきた。さらに、金融庁の特別検査は「公表、集計値で」(3月19日付「日経」夕刊)とあるように、個別行の検査内容の公表は個別行に任されるらしい。また、銀行経営者の責任逃れに道を用意してやっている。
「万が一の場合には、15兆円の公的資金があるから大丈夫」という政府の理屈は成り立たない。この15兆円を使った場合、もはや政府は議決権付きの普通株を買う他にない。そうなれば、政府が銀行経営権に関与することが可能になり、事実上「国有化」のプロセスが始まってしまう。にもかかわらず、銀行を「国有化」してどうするのか、政府は何も考えていない。恐ろしいほど、その場しのぎだ。
政府が議決権を行使しないまま、銀行株を持ち続ければ、銀行は「特殊法人」同然だ。
道路公団は民営化して銀行は「特殊法人」化する。日本の金融システムに対する信用は恐ろしく低下してゆくだろう。ほんの少し考えれば、すぐにわかることだ。「15兆円の公的資金があるから大丈夫」なのではない。「国有化」した後のビジョンが全くないままに、「15兆円の公的資金があるから大丈夫だ」と首相が平然と言っていることが、とてつもなく危険なのだ。経済オンチの小泉首相は、無免許の運転手同然だということを忘れてはならない。
だが、掘り下げた報道はほとんどない。それどころか、02年後半に米国経済のX字型回復を期待する新聞記事が多い。たとえば「米の金融政策中立型に」(3月20日付「日経」夕刊)でも、米国の景気回復面が強調されている。もっとも、翌日の「日経」3面でまともな記事を載せているが…。
かつての「IT革命」報道を反省するなら、米国頼みの楽観論は慎んだ方がよい。今は何よりも足元を見極める報道が大事だ。今度こそ、ツケの先送りを防げるか。メディア報道にかかっている。