4月1日からのペイオフ解禁を前に、個人マネーのシフトが金融市場で波紋を広げている。安全性を追求して信用度の高い金融機関に預金を移すという“憶病なマネー”の側面をみせながら、高い利回りを求めて外貨建て資産に資金を移すという“果敢なマネー”の性格もみせる。2つの顔を持つ個人マネーの意外なインパクトを探る。
<都銀に流入する個人マネー>
入り口の扉を押すと、ムッとするような人いきれと熱気。ソファーに座り切れない客の一人は、「あとどれくらい、待てば順番が回ってくるのか」と案内係の銀行員に詰め寄った。3月上旬、東京23区内のターミナルそばの東京三菱銀行のある支店。説明を求められた行員は、「3月に入って、午後はいつもこうなんです。申し訳ありません」と丁寧に頭を下げた。
相対的に信用度が高い、とみられている東京三菱銀には、他の金融機関の定期預金をおろして普通預金として預けにくる個人のマネーの流入が続いている。ある邦銀関係者は、「4月からのペイオフ解除で、破たんした銀行に預けてある定期預金は、元金1000万円とその利息までしか保護されなくなる。そこで、個人の資金が信用度の高い銀行に集まる傾向を示している。相対的に格付けの高い東京三菱銀が、大手銀の中では、最も資金流入額が多いのではないか」と話す。
東京三菱銀の個人預金は、2000年9月末の19兆3492億円から2001年9月末には20兆8522億円と約1兆5000億円の増加となった。その後も増加傾向は継続しており、今年に入っても増加基調に変化はない、という。
他の大手銀でも、同じように預金の増加傾向が続いており、UFJ銀行の寺西頭取も、18日に記者団に対し、「ここ半年の預金増加の流れは、今も続いている」と述べた。
別の邦銀関係者は、「同じ銀行でも、定期預金から普通預金へのシフトが起きている。これを水平移動と呼んでいる。これに対し、規模の小さい金融機関から規模の大きな金融機関へのシフトも起きている。これは垂直移動と呼ばれている」と話す。
その邦銀関係者は、「昔なら、預金が集まるのはうれしいことだった。しかし、今は資金が集まっても、運用する先がないのが実情だ。預金がどんどん入ってくることは、今日的にはよいことばかりではない」と語る。
実際、普通預金金利を0.002%まで下げている地銀や第二地銀が10行以上に及んでいる。
<リスクを取れないワナ>
こうした個人マネーのシフトが、マクロでみた金融仲介機能に大きな影響を及ぼしている。第一生命経済研究所・主任研究員の熊野英生氏は、「ペイオフを契機にした大手銀への資金の集中が、結果として企業向け融資の減少というかたちに結びついている」と指摘する。
日銀の統計によると、2002年1月末で都銀の普通預金は前年比+20兆8412億円と大幅に増加している一方、定期預金は前年比−13兆3663億円と目立って減少している。
加えて、譲渡性預金(CD)が前年比−7兆5431億円、コールマネーが前年比−8兆0979億円と減少幅が大きくなっていることに、熊野氏は着目する。「CD、コール取引ともに、ペイオフが解禁になる4月1日以降は、それまでの全額保護が解除される。このため、資金の出し手である生保や投信、地方公共団体などが資金を出さなくなった。同時に資金の取り手の都銀も国債運用を4兆8256億円減らしており、資金の出し手と取り手の事情があいまって、CD、コールの残高減少につながった」と熊野氏は解説する。
そうした結果として、都銀の総資産は、2002年1月末で前年比−17兆4905億円と大幅な縮小となった、と熊野氏はみている。
その一方、運用サイドで有価証券の−8兆1737億円とともに、貸出金が−8兆2653億円と大きく絞り込まれた。
熊野氏は、この点について、「中小業態の金融機関は、個人資金が流出して、貸し出しを絞らざるを得ない状況になっている。この結果、個人のマネーが上位業態にシフトしたが、都銀も貸し出しを絞ったために、企業金融を積極化させるところが見当たらなくなった」と述べる。
そのうえで、「憶病な個人のマネーが都銀に集まり、当初は、都銀が貸し出しを増やすのではないか、と見る向きもあったが減らしている。これは都銀も憶病になったからだ。その要因の1つとして金融庁の特別検査があるだろう。ペイオフ解禁を前にどこもリスクを取れないワナにはまってしまった」と熊野氏はいう。
<個人マネーがドルをサポート>
7日のNYで126.36円と年初来安値の水準までまでドル/円が急落し、ドルがさらに下落するかとかたずを飲んで見守っていた8日の東京市場。邦銀のトレーディング・ルームで、「個人がドルを押し目買いしている」とのざわめきが広がった。ある関係者は、「128円台でドルを買う注文が出て、あれ、と思ったら、個人をバックにしている別の邦銀の注文だった」とその場面を振り返る。
別の邦銀関係者も、「3月期末を前に、銀行の自己ポジションはほとんど動けない。その中で個人マネーのドル買いは、マーケットで予想外に目立った」と話す。
最近、外貨建て資産に関するセミナーを行うと、どの金融機関の会場も50歳代の富裕層を中心に満員だという。
ある国内証券の窓口担当者によると、「ペイオフに関する顧客の知識は、1000万円の元本とその利息分の保証といった程度がほとんどで詳細についてはあまり知られていないのが現状。証券会社は、分別保管が義務付けられており、仮に証券会社が破たんしても、預かっていた有価証券などは顧客に返還されることを説明すると、銀行から一部の資産を移す顧客もいる」という。
その関係者によると、格付けのよい国内企業の社債なども好調な売れ行きを見せる一方で、世界銀行などの格付けの高い外貨建て債券も昨年末にかけて結構な売れ行きを見せたという。
為替リスクを嫌う投資家と、国内の金利低下を嫌気し、為替リスクを負いながらも外貨建て債券に資金をシフトする投資家に分かれるという。
一方で、国内のみならず、海外ではエンロン破たんやアルゼンチン問題なども取りざたされ、「顧客は為替リスクよりも信用リスクを気にするようになった。以前は、利回りを気にしていたが、内外でつぶれないと思っていた会社が実際につぶれるようになってからは、格付けを気にする顧客が多い。実際、ここ半年ぐらいは、国内企業の倒産などでリスクの低い外国国債などの購入が伸びている」と別の国内証券の営業担当者は語る。
野村総合研究所・国際金融研究室長の植野大作氏は、「今月8日は、個人による外貨預金や外債購入が通常の2倍に膨らんだようだ。個人の外債投資は、機関投資家と異なり、為替のヘッジ比率がかなり低い。したがって外為市場への影響がストレートに出てくるが、これまでは規模が小さいために、あまり大きな影響度はない、とみられていた」と話す。
しかし、「このところ、個人マネーはかなりのテンポで膨張しており、ドル/円を下支えする要因になってきている。この先も、年金資金などとともに、ドルのサポート要因になるとみられている」という。
個人マネーは外為市場でも、主役の一角を占めようとしている。