春闘を引っ張ってきた金属産業大手。その中核として相場形成をしてきたトヨタ自動車。経営不振企業ならともかく、経常利益一兆円を超さんとする世界的優良企業が十三日、初のベア(ベースアップ)ゼロに踏み切った。どんなに収益が好調でも、定期昇給のみでベアはゼロだとしたら春闘の意義はなくなる。日本型経営の最後の代表とも言われたトヨタが“変身”したのはなぜか、その深層を探る。(経済部春闘取材班)
■日本株式会社
賃金交渉が最後のヤマ場を迎えた十一日午後、トヨタ本社のある愛知県豊田市内で賃金交渉が予定を遅らせて始まった。直前に、奥田碩会長が労務担当者と予定外の打ち合わせを入れたためだ。
日経連会長でもある奥田氏は今春闘で「ベアどころではなく定期昇給の見直しも検討が必要だ」と主張した立場。待ち受けた組合側は、この時に会社側がベアゼロの徹底で意思統一したとみる。村井隆介書記長は「トヨタと交渉している感じがしなかった」と説明、交渉相手は“日本株式会社”だったと顧みる。
これに先立つ三月六日夜までトヨタ首脳は「ベアゼロでは仕事の活力を弱めかねない。この期に及んで百円玉では組合側も納得しないだろう」と語り、ベアゼロを回避、定昇を含め賃上げ七千円を示唆していた。
トヨタのベア交渉は回答日の二日前までに決着するのが通例で、交渉が最終日までもつれたのは初めて。組合幹部は十二日深夜、「十三日の会社回答がベアゼロならば再考を求め、それでもダメなら受け入れざるを得ない」と腹をくくった。
大手自動車会社は日産自動車を除きベアゼロ回答。今年五月に経団連と日経連が統合して発足する日本経済団体連合会の会長には奥田トヨタ会長が就く。
「トヨタがベア五百円の七千円を回答したら(経済界から)袋だたきに遭う」「(財界トップを出す企業が)突出することは絶対にできない」「一企業の生産性の向上とは別に、日本全体で賃金が決まる面もある」。いずれも首脳や役員の言葉。トヨタの労使交渉は今年、日本株式会社の労使交渉となった。
■スクラム?
「トヨタとスクラムを組んだように見えるかもしれないが、そんな事実はない」。ホンダの大久保博司常務は十三日、同社がベアゼロで妥結した後の記者懇談会で強調した。
ホンダもトヨタも会社側はベアゼロの根拠として、労働力が割安なアジア諸国との国際競争に勝つ必要や雇用の安定を挙げた。
ホンダ自身が今年六月にも中国製の十万円を切るスクーターの逆輸入を決めるなど、「中国経済の脅威」は足元に迫っている。労使交渉では物価下落が始まった三年前から、物価上昇を前提にしていたベアの見直しを論じてきた。
年々、厳しさを増すベア交渉に、自動車総連の加藤裕治会長は「経営側からは、今春闘で従来の労使のあり方を考え直すボールが投げられた」と危機感を示した。
■市場重視
日本的経営の代表であるトヨタ。一九九八年八月には、米国の格付け機関が、同社が終身雇用の維持を掲げている点を理由の一つに格下げに踏み切ったことに対し、奥田氏らが強く反論した。
その一方でベアゼロを提示、「業績は一時金で」と一時金は満額回答し、労組側の「生産性向上をベアに」「ベアで生活向上を」という主張に引導を渡した。
霧島和孝住友生命総研上席主任研究員は「賃金破壊が起きている。企業は従業員重視の経営の変更を迫られ、一方で総額人件費を削って業績を良くし、株主への配当も増やす株主重視の傾向を強めれば、これが市場から評価される」と指摘する。
今春闘で、経営不振企業からは、定期昇給すら削減するという提案がなされ、賃金が減るという従業員の不安が現実味を帯びた。将来不安から貯蓄を増やそうという動きが強まれば、ベアゼロの一斉回答は消費不振の形で企業にはね返ってくる。