(回答先: Re: 増やさなくてもいいから減らさないように 投稿者 FP親衛隊国家保安本部 日時 2002 年 3 月 12 日 20:04:34)
FP親衛隊国家保安本部殿、こんばんわ。
“私的な老後の蓄え”であれば、どういう利殖方法をとって大きく増やそうが大きく損を出そうとかまわないが、「公的年金」は、現在価値をそのまま年金受益者に回すべきだと考えています。
>普通預金に預けておいて運用になるなら、もう年金なんていらないですよ。
>国民が各自普通預金に年金の払込額を貯蓄しておけばいいのだから。
個人が支払う年金保険料がそのまま普通預金に預けられるわけではありません。
厚生年金であれば、従業員が負担する金額と同額を雇用者=会社が追加負担します。
(国民年金にも税金から上乗せがされています)
積立方式ではなく賦課方式ですから、そのようにして集められた基金が、現在のジジババに渡ることになります。
年金基金が株式市場などで運用していることを好意的に解釈すると、高齢化が進む将来に備えて、余剰資金をできるだけ増やそうとしているということです。
>ますます少なくなる若い世代でジジババの受給者の年金を賄わなければならないの
>だから、リスクはとらないとその差は埋らない。
リスクをとってハイリターンであればいいのですが、結果がマイナスリターンでは、逆にその差を広げてしまいます。
株式投資をしている限り、そのような危険は常につきまとうものです。
最初に書いたように、個人の蓄えであれば、株式投資で損失を出しても政府が補償する必要がありませんが、「公的年金」であれば、どういう手段かは別として、否応なく補償しなければならないです。
>だから、年金資金の運用を「完全に」民間に移管することが必要なのです。
>損を出すような運用会社に年金の掛け金を払い続ける者はいないから、自然と
>運用会社に自覚と責任感が生まれるのです。
「損を出すような運用会社に年金の掛け金を払い続ける者はいない」のは、損を出さない運用会社があればの話です。
それまで損を出していない運用会社が、これからも損を出さないかどうかはわからないことです。
益を出しているかどうかの評価は“過去”を見ているだけです。乗り換えたからと言って、“将来”も益を出してくれるかどうかわからないのです。
「運用会社に自覚と責任感が生まれる」といっても、株式投資は、それで益が出せるというものではありません。
>或は、それができないのならば、国民年金のファンドマネージャーは年俸制で外人
>でもヘッジファンド出身者でも傭ってくる。元本を一定以上減らしたら退職金なし
>のクビ。元本を増やしたらその一定割合を報酬で報酬の天上は無制限にしたらよい
>のです。
「元本を一定以上減らしたら退職金なしのクビ」であっても、損失分が戻ってくるわけではありません。
「元本を増やしたらその一定割合を報酬で報酬の天井は無制限にしたらよいのです」は、話としては問題ないと思いますが、損失を出したときのペナルティとのバランスが崩れていると思います。
個人では無理でしょうが、運用会社ならば、一定利回り以上の青天井報酬であれば、運用元本の20%は供託金を担保にとるべきでしょうね。腕に覚えがあれば、任期が終われば返って来る供託金はなんということはないでしょう。
このようなことから、「公的年金」の基金を株式や民間企業の債券に投資して運用することには反対です。
「公的年金制度」は、運用利回り0%を想定して、年金保険料と年金給付額を決めるべきです。
この前提で、年金保険料が高過ぎるのかどうか、年金給付額が少なすぎるのか多すぎるのかを検討しなければ、まともな「公的年金制度」の維持ができません。
捕らぬ狸の皮算用で運用益3%を目指して株式投資に精を出したあげく損失を出せば、そのつけは、税金の負担増か年金給付額の減少、もしくは、その両方というかたちで現れます。
そして、損失が膨らんだり、高齢化が進んでいけば、現在は計算上でしかない株式投資損益評価が、実際の保有株式の売却で現実の損得として現れることになります。
年金基金は、94年頃から盛んに株式の買い支え(ある時期は日経平均2万円を目標)をしてきたのですから、厖大な株式を保有しているはずです。
来月の年金給付のために保有株式を売らなければならないという時期が来れば、その売却が「株価押し下げ」の圧力になります。
いったん保有株式を売らなければならない事態になれば、高齢化という流れから、売りを続けなければならないのですから、さらに株価が下がることになります。
(郵便貯金で買った株式であれば、新しい貯金が流入し続ける限り、売り時まで株式を保有し続けることもできますが...)
政治家や官僚は、そんなに不況は続かないはずだから、株価や地価もいつかは上がるだろうと勝手に思い込んでいるようですが、それがいつになるかや現在の水準以上に上がるという保証はないのです。
明確な見通しもないまま「刹那的な株価維持」や「捕らぬ狸の皮算用のための株式投資」を続けていれば、年金基金に厖大な損失をもたらすだけではなく、株式市場全体を下落基調に陥れる事態さえもたらします。
株式配当は別として、インフレ分を修正した利息や値上がり益は、他者からの“利益”(余剰資金程度に考えてください)の移転で実現されるものです。
株式投資は、智恵や技で運用益が上がるわけではなく、誰(複数)かの“利益”をもってくることでしか利益を上げることができないのです。
(智恵や技があるとしたら、自分が、“利益”を渡すほうでなく、“利益”をもらうほうになるということだけです。無から利益が生まれたり、天から利益が降ってくることはないです)
戦後の日本の投資家や政治家は、1955年から1990年という長期の株価上昇過程に身を置いてきたせいで、株式市場は“打ち出の小槌”であり、株で損をする人はよほどのドジであり、誰もが儲けられるはずだという考えになってしまったのです。
そして、そういう時代は終わったにも関わらず考えを切り替えることができず、その余韻のなかで、現在も、株式市場を捉えているのです。
(同じことは地価にも言えますが)
空売りをすれば株式投資で利益を上げられる局面もありますが、運用規制やPKOという役割からいって、そのようなことはできないでしょう(笑)