「今回の野村アセットマネジメント(以下、野村アセット社)のトップ人事は、事実上の親会社である野村証券内部の“引責人事”もしくは“懲罰人事”とみるべきだろう。氏家純一社長が自らの就任以来、一貫して掲げてきた“資産管理型営業”が破たんしたことに対する責任を取らされた、というのがコトの真相だ」
野村証券の有力OBがこう言ってみせる。
野村証券グループの持ち株会社である“野村ホールディングス”がここへ来て、グループ傘下の投資信託会社、野村アセット社の社長交代に踏み切ることを決めた。
その“トップ人事”とは、現在野村アセット社の社長を務める清川昭氏は今月31日付で退任し、野村証券の稲野和利専務がその後任に回る、というものだ。
「この“トップ人事”に関して言えば、野村証券グループ内部には少なからぬ動揺が走ったことは事実です。なぜなら、稲野専務は“ポスト氏家”という点で、その最有力候補の1人だったからです…」(野村証券経営中枢幹部)
そもそも稲野専務は野村証券において、リテール取引部門を統括する立場にいた人物だ。
「特に、例の“1兆円ファンド”の生みの親としてよく知られた人物です。それと同時に野村証券が従来の“手数料至上主義営業”から“資産管理型営業”へ大きくシフトする上で、そのことを強く主張していたのが、この稲野専務だったのです」(前述の野村証券経営中枢幹部)
それでは、この“稲野路線”の成果はどうだったのであろうか。
改めて説明するまでもなく、鳴り物入りでスタートした“1兆円ファンド”はまさに惨たんたる結果に終わっているのが実情だし、“資産管理型営業”についても現段階では当初予定していたレベルに到達するにはまだまだ程遠い状況にある、とみるべきだろう。
「その結果、一連の責任をとらされる形で、稲野専務は野村アセット社へ転出させられてしまったのです。氏家社長としては、早急に“1兆円ファンド”のテコ入れを図れ、ということなのでしょう−」
もっとも氏家社長にとって稲野専務は、ホールセール部門の統括責任者である戸田博史専務と並んで、社長就任以来その右腕としてきた人物だ。
「その稲野専務を切ってしまったわけですから、氏家政権の弱体化はまぬがれないでしょう」(野村証券幹部)
その氏家社長だが、今年5月で社長就任6年目に突入し、大きな節目を迎えることとなる。当然のことながら、氏家社長の後継者をめぐってさまざまな動きが起こってくることは間違いないだろう。
「とはいっても、稲野専務転出によって、“ポスト氏家”は戸田専務にほぼ絞り込まれたとみていいでしょう。もっとも野村アセット社の社長ポストは、従来のケースで言えば、野村証券本社の副社長級が就くのが一般的だった。そうした点で言えば、稲野専務だって冷遇されているわけではない」(野村証券幹部)
前述の野村証券の有力OBが言う。
「いずれにしても氏家君も業績低迷−特に野村証券グループにとって看板とも言える“1兆円ファンド”が低迷していることに関して、自らの経営責任を明確にすべきだろう−」
さて、ドクター・氏家は、稲野専務にすべてを押しつける形で、知らん顔を決め込むつもりなのだろうか。
2002/3/11