《預金封鎖》ペイオフは序の口・まさかの預金封鎖シナリオ・財務省「極秘資料」が示す荒療治
実体経済の悪化が極度に深刻化している。ペイオフ解禁に預金者は騒然としてきた。だが、ペイオフ解禁は問題解決の一里塚にすぎないのか。今や公然と「預金封鎖」「預金切捨て」が浮上してきた。
2月12日の衆議院予算委貞会の一場面だ。
「1月のダボス会議で、アメリカの国際経済研究所のフレッド・バーグステン所長が日本の金融問題に触れて、バンクホリディの実施に言及したが、それについてどう思うか」
保守党の小池百合子議員が発した質問に対して、柳沢伯夫金融担当大臣は「最近、マクロ経済学者がそういうことを言っているようだが、彼らが言っていることがどれだけ正しかったのか」と一蹴してみせた。
バンクホリディは、銀行問題解決のための究極的な手法といえる。窓口業務は停止されて預金は封鎖される。預金者は払い出し不能となる。しかも、最悪のケースでは預金切り捨てもありうる。
それに関連しての質問に対する答弁としては、銀行の引当不足もなく公的資金再注入の必要もないと強調してきた同大臣にふさわしい内容だった。要するに、銀行の現状、金融危機の認識に対する考え方の相違がにじみ出たと言っていい。
しかし、日本の金融問題を厳しく見つめて近未来を危倶しているのは、はるかアメリカのマクロ学者だけではない。小泉政権のお膝元である自民党でも懸念は広がっている。
たとえば、自民党国家戦略会議の面々がそうだ。年明けから活発に議論してきたのは公的資金再注入の即刻実施をはじめとする金融・産業問題の解決策だ。しかも、こちらは公的資金再注入に二の足を踏む金融庁外しまで構想していた。「官邸主導で問題を解決していく」(関係者)という発想だ。
その根拠がないわけではない。昨年の預金保険法改正によって設置された「金融危機対応会議」がそれだ。
同法第一〇二条は、特定の金融機関に対して、例外的な措置が行われなければ、「わが国または当該金融機関が業務を行っている地域の信用秩序の維持にきわめて重大な支障が生ずるおそれがあると認められるとき」、内閣総理大臣が」「金融危機対応会議の議を経て措置を講ずる必要がある旨の認定を行うことができる」としている。
簡単に言えば、内閣総理大臣は、自らの責任と判断において、金融危機対応会議を開催して、金融問題処理の手段を講ずることができる。
ちなみに、その必要な手段は三つ。
一つ目は、破綻も債務超過もしていない金融機関への資本増強、
二つ目は、破綻金融機関または債務超過の金融機関への預金等全額保護のための資金援助、
三つ目は債務超過の破綻銀行などへの特別危機管理、だ。
●驚くべき銀行法改正官邸主導で「大決断」
ここまでは、漠然とながらも知っている人は多い。なにしろ、ペイオフ解禁問題が大きく預金者を覚醒させた。預金者は次第に、金融の事情通になり始めている。ところが、この預金保険法改正に伴って、銀行法の一部がガラリと改正されていることを知る人は意外と少ない。
結論を急げば、銀行に対する生殺与奪権を握る主体が変わった。同法第二四条から第二八条までの箇所で、主語が「金融再生委員会」から「内閣稔理大臣」へと改正されたからだ。銀行の報告・資料提出義務(第二四条)、銀行への立入検査(第二五条)、銀行への業務停止(第二六条)、銀行免許の取り消し(第二七条)に関して、その命令を下すのは現在、小泉純一郎首相にほかならない。これは戦後の銀行法史上、最大級の改正事項といっても過言ではない。
話を戻すと、国家戦略会議が金融問題の即刻処理を議論した根拠はここにある。今後、わが国では、金融問題の大決断が金融庁ではなく、官邸主導で下される可能性がある。
その背景にデフレ進行下での過酷な金融事情があることは間違いない。資産劣化に歯止めがかからず、大手銀行ですら信任が低下するなかで、不良債権の最終処理とペイオフが解禁されるという「前代未聞の正面突破策」(外資系アナリスト)が吉と出るか、凶と出るか。まだ、この結果は不透明というほかはない。
「一般的に考えると、不良債権処理のプロセスは景気の悪化要因になりかねない」(エコノミスト)といわれる。厳格な貸出資産の査定→貸出資産の最終処理→銀行の貸出姿勢の慎重化→企業の信用力低下→貸出資産の劣化→資産査定の厳格化・・・という準循環的な現象を引き起こしがちだからだ。
実際、この現象は金融危機で苦しんだ90年代の米国でも発生した。そのうえ、今の日本は典型的なデフレ状況にある。デフレと金融債務処理が合わせ技になつた局面では景気が急降下することはこれまた、30年代の米国で実証済みだ。
米国の教訓を踏まえてもなお、日本が金融問題の抜本的処理をせざるをえないのは、デフレを生む国内要因である「過剰債務、過剰設備」の解消が迫られているからだ。したがって、これからの日本の前に広がるのは、竹中平蔵・経済財政担当大臣が語る「ナローパス」などすら楽観的といえるような、二つの時代の米国の光景を展望しながらの悪路だ。
●預金封鎖→切り捨て・敗戦直後との類似性
そうしたなかで、最近、世の中に飛び交い始めたのが、冒頭で紹介したバンクホリディ、封鎖預金、預金切り捨て等々の言葉だ。
断っておくが、銀行休業、封鎖預金、預金切り捨てが別個に論じられたとしても、現実にはワンセットでしかない。 つまり、「休業によって銀行の窓口を閉鎖し、預金を封鎖。そのうえで、預金切り捨てに向かう」というプロセスだ。
なぜ、そんなことが起きるのか。
その答えは、戦後日本史の振り出しにある。今から五六年前の1946年2月17日、政府がラジオで突然、国民に向けて宣言したのが「預金封鎖、新円切り換え」策だったからだ。
旧円を新円に買える手続きは銀行の窓口で行う。一定期限を過ぎれば、旧円は紙クズと化すので、国民は一度は銀行に蓄財を預金しなければならない。いわば、資産吸収の強制執行手段が新円切り換えだった。そのうえで、集まった預金を一時的に凍結し、払い出しを原則不能とするのが封鎖預金だ。これらは預金切り捨ての必要手段として打ち出された。
そんな政策が打たれた背景にあったのは、深刻な経済事情と戦後復興策の早急実施だ。当時の経済事情は深刻だった。そのための課題のひとつとして、政府が直面していたのが巨額の戦時補償債務処理だ。戦時体制のなかで軍事産業拡大のために銀行などが行った融資に施された国家補償。その額は一〇〇〇億円を超えるとみられていた。当時のGDPが八〇〇億円に満たなかったことを考えると、いかに莫大な補償額だったかが実感できるだろう。
敗戦は軍事産業を倒産状況に陥らせた。軍事産業の債務処理は戦後復興を展望するなかで最大級の国家課題として浮上したが、政府には補償を実施するほどの財政的な余裕はなかった。しかし、補償を放置したままにしておくことはできない。
そこで打ち出されたのが封銀預金、新円切り換えを伴う預金切り捨て策だった。軍事産業向けの貸出資産の補償を政府は実施せず、銀行のバランスシート調整で実現するという荒療治である。その最終的な帳尻合わせを銀行の債務である預金の一部切り捨てで行うというもの。
それを図式化したのが別掲図だ。政府は、軍事産業などの企業の資産・負債を「新勘定」、「旧勘定」に分けて、今流の言葉で表現すると前者をグッドカンパニー(再生企業)化、後者をバッドカンパニー(清算企業)化した。一方、企業の負債は銀行の資産につながるので、バッドカンパニーの部分の債務処理は銀行の資産処理に直結する。そこで、銀行の資産・負債についても、同様に、新勘定・旧勘定に二分。前者は企業のグッド部分に、後者は企業のバッド部分に重なるようにする。
しかし、銀行のバランスシートを調整する際、旧勘定の債務処理によって自己資本は食い潰され、銀行は債務超過に陥る。穴埋め原資として活用されたのが銀行の負債である預金だ。要は、預金切り捨てだ。
一方、現在解禁間際のペイオフは金融破綻処理に関して、銀行の最大の債権者である預金者に処理費用を負担させる際に、その負担額に一定の限度を設けるという仕組みだ。仮に、銀行が破碇を来した場合、銀行の不良債権処理が実施されて、その損失額が確定されれば、銀行の自己資本が処理に投入され、さらにその不足分がペイオフ発動による預金者負担で賄われる。その際に、破綻銀行から不良債権が切り離されてグッドバンクとして再生されるとすれば、その一連の作業の見取り図はこの図式のようになる。
ペイオフの発動と、終戦直後の処理の違いは、前者が倒産を来した特定の銀行を対象にしているのに対して、後者は潜在的な債務超過状況に陥ったとみなされた全金融機関を対象にしたという点にすぎない。あとは、終戦直後がハイパーインフレのさかなであった一方で、今はデフレスパイラルの淵にあるというだけだ。逆に、実体経済の方向性が異なるとはいえ、深刻な危機的状況にあることや政府負担の対処をままならなくするほどの致命的な財政悪化等々、類似点は少なくない。
終戦直後が念頭の「財務省極秘文書」
そうだからだろう。実は、終戦直後の荒療治に関して、最近、財務省が極秘裏に資料を作成している。「戦後処理と企業・金融機関の再建について」と題されたペーパーだ。
当時の預金切り捨て策のポイントが記され、さらに、小泉政権の改革先行プログラムで打ち出された不良債権処理の作業手順を図式化した資料では、欄外に「いわゆる『新勘定』『旧勘定』の活用」などの補足説明が明記されている。たとえば『RCCによる債券買い取りの活用』の部分には、『旧勘定の精算』という言葉が、『企業再建ファンドの活用』の部分には『新勘定の再建』という言葉が並んで記入されている。これは改革先行プログラムのうちの不良債権処理、問題企業処理を大々的に一気呵成に実施した際には、終戦直後の処理策に近い結果になりうることを示唆しているようにも受け取れる。
しかし、過剰債務の大手企業を想定したこのペーパーにすら前提が置かれていないような深刻な事態が実体経済では進行中だ。「全国銀行ベースの貸出残高の七割を占める中堅以下の非製造業の業容悪化」(大手銀行)にほかならない。「過剰債務の大企業を処理すれば、問題解決」という発想が昨年来浮上したが、現実は、それほど甘いものではなくなっている。銀行の貸倒引当金不足は、全国津々浦々に裾野を広げて蔓延しつつあるといっていい。「銀行は実態的には過小資本になっている」(有力シンクタンク)と言われる根拠のひとつはここにある。
これに対して、金融庁も銀行も事実無根と否定する。しかし、その一方では、「リスクに見合った貸出スプレッドを求める」という銀行経営者たちが語り始めた貸出金利の引き上けが困難化していることで、婉曲的ながらも深刻な事態が証明されつつある。端的に言えば『信用リスク見合いで貸出金利を引き上げれば、貸出先企業は行き詰って不良債権化する』おそれが高いからこその、貸出金利の引き上げ困難化だ。
最近、国家戦略会議の周辺から大手銀行の実質自己資本比率の試算が飛び出した。自己資本から公的資金と繰延税金資産という上げ底効果を取り除いた実質自己資本比率は健全銀行の基準である八%ラインを大きく割り込んでいる。なかには、自己資本比率がマイナスというケースもある。しかも、景気悪化は著しい。企業の業容悪化で銀行には引当圧力が増し続けている。銀行はフローもストックも壊れかけている。
「ペイオフという個別ベースの問題処理で済むのか」(大手銀行幹部)と銀行関係者すらホンネでは懸念する。柳沢大臣のように、拡大版ペイオフ、つまり、壮大な預金切り捨て策まで行き着くことを今後も完全に否定できるのか。ましてや、官邸主導だ。財政事情の極端な悪化と経済・金融危機の深刻化の進展度合いがメルクマールとなる。(浪川攻記者)